「加志の和都賀野」考

「古代の神話は創られた!?」もののけ姫と花粉分析(カシ→松)から読み解く『伊賀国風土記』(鎌倉時代成立)の謎!
を見て、「加志の和都賀野」とは何かと考えて15分程で思いついたこと。この件についてろくに知識もない検証もしてない本当の思いつき。


「加志の和都賀野」で検索したら國土としての始原史:「風土記逸文」〜東海道というページに伊賀国風土記逸文が載っていたのでそれを参照。


それによると、
(1)伊賀国は昔は伊勢国に属していた
(2)伊勢国は「加佐波夜国」という名だった
(3)天武天皇の時代に吾娥津媛が支配する吾娥郡は伊勢国から分離。しばらくは「加羅具似」(虚國の意)と呼ばれ、後に「吾娥」が転じて「伊賀」となった。
(4)または孝靈天皇の時代に伊勢国から分離し「伊賀津姫」の領する郡だから「伊賀国」となった。


俺がここで最も重視するのは「加佐波夜国」。「かざはやのくに」すなわち「風早の国」であろう。


それを考慮すれば「加志の和都賀野」の「加志」とは「風」のことではないかと、真っ先に思い浮かんだ。


「風(かぜ)」の語原は「語源由来辞典」によると「気風(かじ)」だという。
風・風邪(かぜ) - 語源由来辞典
嵐(あらし)」「おろし」の「し」も風のこと。ちなみに「地震雷火事親父」の「おやじ」も風のことだという説があるけど俗説だともいう。


とすれば「和都賀」が「僅か」なら「風の僅か」ということになるんではないだろうか?


ただし「和都賀」が「僅か」の意味なのかはさらに考える必要がある。この場合(A)「和都賀は僅かという意味」(B)「和都賀と僅かは全く何の関係もない」(C)「本来は和都賀は僅かという意味ではないが、風土記逸文では「和都賀」と「僅か」を結び付けている(E)逸文は中世に書かれた偽書で「和都賀」等は古代にも中世にも存在しない創造された地名、等の可能性がある。

其の知り守り給ひし御齋(いつき)の處を加志の和都賀野(わつかの)と謂ひき。今時、手柏野と云ふは、此れ其の言の謬(あやま)れるなり。

と「加志の和都賀野」は今時は「手柏野」と呼ばれているとある(「今時」とは風土記の書かれた奈良時代、ただし逸文が本当に奈良時代に書かれたとは限らない)。


「手柏野」が「手風野」であるとすれば、「手風」とは「手を動かすにつれて生じる風(goo国語辞書)」で、その程度の風が吹く野ということになり、「風が僅か」と意味が通じることになるように思われるのである。


吾娥津媛が「加志の和都賀野」にいるのは日神が天上より投げ降した三種の宝器の一つの「金の鈴」を守るためである。鈴だから風が吹けば鳴るだろう。鈴が鳴るのに適度な風が吹く場所ということではないだろうか?