浦島太郎の謎(亀の恩返しと鶴の恩返し)

一般的に知られている「浦島太郎」は子供にいじめられていた亀を助けたので、龍宮城に招待されて亀の主人の乙姫のもてなしを受ける。


これが『御伽草子』だと(ウィキペディア「浦島太郎」より。以下同じ)

ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝生あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。

と太郎が亀を釣り上げて、亀は長生きなのにここで命を落とすのは可哀想だからと海に返す。その際「この恩を忘れるなよ」てなことを言っている。勝手に釣り上げておいてこの言いよう


これが『丹後国風土記』だと

釣すること三日三夜を経て一の魚だに得ず、すなはち五色の龜を得たり。心に奇異(あや)しと思ひて船の中に置きて、即ち寐(い)ねつるに、忽ちに婦人(をとめ)と爲りき。その容美麗(かたちうるは)しく更(また)比(たと)ふべきものなかりき。嶼子問ひて曰く、人宅遥遠(ひとざとはろか)にして海庭(うなばら)に人なし、詎人(なにびと)の忽ちに來れるぞといひき。女娘(をとめ)微咲(ほほゑ)みて對(こた)へけらく、風流之士(みやびを)獨り蒼海(うみ)に汎べり、近(した)しく談(かた)らむとするこころに勝(た)へず、就風雲(おとづれ)來つと曰ひき。

島子が亀を釣ったらその亀が女人になった。おまえはどうしてここに来たのかと聞いたら、いい男がいたので親しくなりたいと思ってやってきたのよと答えた。肉食系女子だった


日本書紀』『万葉集』は省略された部分があると思われ、おそらくは『丹後国風土記』とほぼ同じであっただろう。「恩返し」の要素は無い。



御伽草子』において、恩返しが登場する。ところで『御伽草子』では人の姿となった亀との出会いは

かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば〔留まり見れば〕、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟〔はしけ舟、小舟〕に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ〔前世の〕御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處へ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめ\〃/と泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。

浦島太郎(校註日本文學大系)


太郎は女が1人小船に乗っているのを発見した。事情を聞くと「女の乗った船が遭難し、親切な人が自分を小舟にのせてくれた。途方に暮れていたところ、あなたに出逢ったのでほっとした」と答えた。女は「私を本国に送って下さい」と懇願するので、太郎は可哀想に思って女の故郷へ送り届けた。といったところ。


最初に亀の命を助け、次に女(実は亀)を助けた。つまり二度の善行をしている。ただし一度目は先に書いたように亀を釣ったのは太郎自身だから、それを善行というのかは微妙だが。しかし二度目は正真正銘の善行。


ところで「鶴の恩返し」も二度の善行をしている


一度目は罠にかかった鶴を助けたこと。二度目は道に迷った女(実は鶴)を家に泊めたこと。


これはどう考えたって偶然の一致ではない。従来の「浦島太郎」に「鶴の恩返し」の要素が混入したのだろうか?そうなのかもしれないし、そうではなくもっと複雑な原因なのかもしれない。また考えなければならないことが増えてしまった。