浦島太郎の謎 3

引き続き
「浦島太郎」にカットされた真の結末 永遠の命もつ鶴に生まれ変わる - ライブドアニュース

番組は「浦島太郎って、結局何を伝えたいの?」と題し、昔話に関する疑問が紹介された。「浦島太郎」は、浦島がいじめられていた亀を助けたことで、竜宮城に招待され、土産の玉手箱をもらう。それを絶対に開けてはいけない約束だったのを、浦島が開けてしまったために、おじいさんになってしまうというあらすじだ。それでいったい何を伝えたいのか、教訓がわかりにくいという。

この疑問に、大竹一樹が「悪いこと何もしてないんだよ、浦島は。良いことしかしてないのに」と疑問を呈すと、三村マサカズも「何で(浦島が)罰を受けなきゃいけないの?」と、首をかしげた。

要するに「浦島太郎は亀を助けたのに不幸な目にあったのは不条理だ」ということでしょう。


しかし、「浦島太郎は亀を助けた」→「浦島太郎は老人になってしまった」の2つを結びつけてしまうところがおかしい


一般的に知られる浦島太郎でいえば、「浦島太郎は亀を助けた」→「お礼に龍宮城でもてなしをうけた」と「玉手箱を開けてはいけないという注意を守らなかった」→「浦島太郎は老人になってしまった」であって不条理ではないのだ。


もちろん、そもそもの原因は亀を助けたことにあると言うことも可能かもしれないけれども、それを言うなら、そもそも太郎が釣りをしたのが原因だとだって言える。物事は延々と繋がっているのであって、一回良いことをしたらその後はずっと悪いことが起きないなんてことはありえないのである。


それにそういうことは何も「浦島太郎」に限ったことではない。「鶴の恩返し」だって、鶴を助けたので鶴が女房になって恩返しをした。でも見るなといったのに見てしまったので女房は去っていった


全く同じではないか。でも「鶴の恩返し」で若者は鶴を助けたのになぜ不幸が訪れたのだ?と突っ込む人を俺は見たことがない。


なぜ「浦島太郎」だけそう言われるのだ?「鶴の恩返し」は元の状態に戻っただけだから違うということかもしれない。しかし本当にそうなのかといえばそうではないだろう。一度幸せを知ってから失うのと、何もなかったのとでは全然違う。


なぜ人は「浦島太郎」に不条理を感じるのか?この問題は研究する価値がありそうだ。俺はやらないけど。



しかしながら、それとは別に浦島太郎の物語には不条理が確かに含まれていると俺は思う。


それはまたあとで。