天智天皇暗殺説について考える(2)

井沢元彦氏は『扶桑略記』の記事を「事実」とみなし、考えられる可能性は「事故」か「暗殺」しかないと断定した。確かに「事実」であるのならば、出かけたまま帰ってこなければ、そういうことになるだろう。そして、沓だけあって死体がないのであれば、それは事故よりも暗殺の方の可能性が高いであろう。全くもって「合理的」で「科学的」な「名推理」だ。


一方、歴史学者は、そうは受け取らず、天智天皇が「神仙」であることを示しているのだと解釈した。


ところで井沢氏は、「逆説」の序論で、「日本の歴史学の三大欠陥」の一つとして、「日本史の呪術的側面の無視ないし軽視」ということを上げて、歴史学を痛烈に批判している。しかし、天智暗殺説について言えば、呪術的側面を重視しているのは、むしろ歴史学者の方であり、軽視しているのは井沢氏ではないだろうか。


井沢氏が、呪術を軽視している歴史学を批判している言論を真似て書けば、井沢氏は「私は神仙などというバカなものは信じない、だから過去においても神仙というものは、歴史史料に対して何の影響力も持っていない」と考えているといったところか。


もちろん俺は、「日本史の呪術的側面」を重視する立場であるから、この場合、歴史学者の見解を大筋で支持する。