STAP論文騒動のよくわからないこと(その4)

特殊と普遍〜「小保方特殊論」を超えて - 科学政策ニュースクリップ

 日本の研究者育成システムや、研究機関が、一般の人々や諸外国から、懐疑的な目でみられている状況のなか、「他人事」ではなく「自分事」として考えることが求められているように思います。

 ハインリッヒの法則では、「1つの重大事故の背後には29の軽微な事故があり、その背景には300の異常が存在する」と言われています。

 私たち医師や医療関係者は、重大事故を防ぐために、「インシデントレポート」「ヒヤリハットレポート」を書きます。自分が起こしたミスを報告し、その原因や解決策を考えます。

 これと同じで、今回のようなケースでも、一例一例を徹底検証することが求められているように思っています。

言ってることはもっともだと思うけれど、一方俺が思い出すのはBSE騒動等の食の安全問題である。「リスクゼロ幻想」への批判がネットでかなり盛り上がったことを記憶している。


「100%安全」でなければならないという考えが新たな問題を発生させる。


そのことを考えれば、今回の事例もまたレアケースである。だがレアケースであってゼロではない。どの程度のレアケースなのかは知らないが千件に1件、あるいは万件に一件、あるいはそれ以下であっても、起きれば大きな騒ぎになる。このまま何もしなければ再び同じことが起きる可能性は非常に高い。その防止策が求められている。


しかし、いくら防止策を取ったところでリスクはゼロにならない。規制を強化すればそこに新たな問題が発生するかもしれない。新たな問題が発生しないような防止策ならやればいいけれど、リスクゼロを追求するあまり弊害が生じてしまう危険もある。


この騒動に対する論調をみていると、とにかく防止策をという主張ばかりが目立ち、(全くないわけではないけれど)そこから新たな問題が発生するかもしれないということを論じる人はほとんどいない。


そこんところが危なっかしいと感じるんですよね。