STAP論文騒動のよくわからないこと(その21) リスクゼロ幻想

これは前にも書いたんだけどもう一度
STAP論文騒動のよくわからないこと(その4)


一般にリスクゼロ幻想について専門家・インテリは「やれやれこれだから素人は」みたいな反応を示しがち。ところがSTAP論文騒動においてはその専門家・インテリがリスクゼロ幻想にどっぷりとはまっているように見える。いやあくまで俺の印象なんだけど。


今回の事態のようなことを起きるリスクを完全にゼロにすることはできないまでも、限りなくゼロに近づけることは可能かもしれない。でも、そこにはデメリットもあるはずだ。しかし、そういう話はほとんどない。いや全くないわけじゃないけど。とにかく二度とこのようなことは起こしてはならないと。そういう話が大半。


いやこれが理研が著しく無能なのが原因あって他では起きない、未然に防ぐことが可能なんだということなら話は簡単。実際「理研は無能」という主張は溢れているからそう考えているのかもしれない。まあこの場合は科学界全体の問題というより理研という一組織の問題だから事態は(相対的には)それほど深刻な話ではないはずであり、また理研に属さない科学者にとっては他人事でさえあると思うんだが。理研という大組織に不正があると日本の科学界にとって損失が大きいという面はあるだろうけど、しかしそれでも問題は理研という組織に限定される。あとは他山の石として自分のところはああはならないようにしようって話になるだろう。


しかし、俺の知るところによれば、科学の先端分野では一つの研究室で研究できることには限界があり共同研究が必要になる。国内だけでなく海外の研究機関とも共同研究をする。そうした場合、グループ内で全てを相手に公開するというかというとそうでない場合もあるのでしょう。今回の鍵となった研究ノートも気軽に見せろとはいえない空気があったことは記者会見の場でいわれていた。それは今回の出来事が特殊だったからで他では無いことなのか?それに関するルールはあったのか?今後はそういった隠し事はなくなるのか?なくなるとして共同研究自体が難しくなるのことはないのか?みたいなことが論じられているようには見えないのである。いやそんなことは研究者にとっては論じるまでもないことだから論じないのだという話かもしれないが、素人にはなかなか伝わってこないのである。


再発を防ぐためにはかくかくしかじかの方法があるけれど、それにはこういうデメリットがあってというような解説を見つけるのは難しい。いや専門家は当然そんなことは考えた上で主張しているのかもしれないけれど、見た目だけでは「リスクゼロ幻想」で語っている人と違いがわからないのである。


専門家の皆様方には是非そういうことを語っていただきたいのである。