オカルトの時代

これから書くことは俺の記憶に基づいているものだから、記憶違い、または全体像が見えていないというところがあるかもしれない。


俺が子供だった1970代というのはオカルトが全盛だった。超能力、心霊現象、UFO、ネッシーヒバゴン・雪男・ツチノコオリバー君ノストラダムスの大予言こっくりさん等々。もちろん当時にあっても、良識ある人物はそれらが荒唐無稽な話だと言っていた。それはそうなんだけれども、現在と比較すればそれらが真実である可能性は遙かに高かったと思う。


これは超光速ニュートリノSTAP細胞の問題について書いたときにも触れたことだけれど、「ある」か「無い」かどちらかを選べと言われたら「無い」を選択した方が圧倒的に当たってる可能性が高い。もし当たったときに得られるもの、または外れたときに失うものが同じだったとしたら迷わず「無い」を選ぶべきである。しかし、僅かな可能性であっても、それが「ある」ときに得られるものが莫大なものだったとすれば、選択は慎重でなければならないだろう。そのときに考えるべきは可能性がどれくらいあるのかということだ。「99%ない」と「99.99%ない」の違いは僅か「0.99%」で大差ないということはできる。しかし「1%ある」と「0.01%ある」の差は100倍もあるともいえる。


1970年代においても、UFOやネッシーが存在しない確率は圧倒的に高かった。けれども現在と比較すれば、存在する可能性は遥かに高かったとは思う。つまりそれだけ科学が進歩したということだ。現在において月や火星に人型宇宙人が住んでいるなんてことを大真面目に信じている人はもしかしたらいるのかもしれないけれど極めて少数だろう。それは宇宙人存在説を信じる人が転向したということもあるかもしれないけれど、さすがに月や火星では現実味がなくなってしまって、「より遠くの星には宇宙人が住んでいるかもしれない」とか「月や火星に人型宇宙人はいないかもしれないけれど原始的な生物ならいるかもしれない」というように、より現実的な考えにシフトしたということもあると思われる。


さて、いつの時代でも新しい考えを受け入れるのは若者であろう。70年代オカルトブームもその影響を大いに受けたのは若者だったと思う。それは大人は科学的だったということを意味しない。大人は大人で迷信を信じていただろうけれど、当時としては目新しいオカルトは受け入れなかったというだけのことだろう。キリスト教徒が輪廻転生を信じないからといって仏教徒よりも科学的だなんてことが言えないのと同じ。


なお1980年代にも90年代にもオカルトブームと呼ばれるものはあったように思うけれども、俺はあんまり詳しくない。それは俺が成長して興味が無くなったからなのか、科学の進歩によってそれらが現実味が無くなってしまったのかは自分でもよくわからない。おそらく両方だろうけれど。


オカルトブームが沈静化した最大の理由はオウム真理教事件だろうけれど、それ以前にも変化はあったように思われる。70年代の終わり頃からではないかと思うけれど、ラジオ番組や漫画などで、たとえば時代劇やスポ根・青春ドラマなどのおかしなところを取り上げてツッコミを入れたり、パロディ化したりすることが流行した。つまりそれまで真正面から見ていたもの、あるいはおかしいと思ってもお約束だからと黙っていたものを、表立って取り上げることで、新たな楽しみ方が出てきたように思う(それ以前からあったかもしれないけれども大々的になった)。その流れの中でオカルト物についても、真正面から見る人とは別の見方で楽しむ人が増えてきたんじゃないかと思う。


そんなわけで、80年代以降はオカルトが好きといっても、真剣に見てる人と、それ以外の人に分解してきたんじゃなかろうか?ただし「それ以外の人」といっても皆が全く信じてないとかいった「信者・アンチ」の関係というよりも、超常現象が存在するのかしないのかなんてことを真剣に考えるのをやめて、「面白ければいいじゃん」という人が増えたということではないかと思う。