血液型性格判断と「予言の自己成就」(その2)

血液型と性格が関連する予言の自己成就は起きていなかった? | Kousyoublog
まずこの話とは一見関係なさそうな経済学者ケインズの話から。ケインズは著書『雇用・利子および貨幣の一般理論』で

自分たちは理論などにとらわれていないと思っている実務家は、遠い昔の名前すら忘れられてしまった三流学者の説に従っているだけのことが多い。

と書いている。この解釈が諸説あってはっきりしないのだけれども、俺の超解釈では要するに「おっさんどもはおのれが若い頃に流行っていて今では見捨てられた理論を意識的あるいは無意識に摂取してしまっていて、新しい考えを受け入れることができない固い脳みそになってしまっている」ということだろうと思っている。そんで、その若者も年を取れば同じことになるのだから、今のうちに自分の主張を彼らの脳内に入るようにしておけば、すぐに影響が出ることはないけれど、彼らがおっさんになる頃には今度は自分の理論を知らず知らずのうちに彼らは自分でそれを考えたかのように信じ込むんじゃあるまいか?ということではないかと思ってる。



さて本題。

Sakamoto & Yamazaki(2004)は 1980 年代のデータを用いて,社会に血液型性格判断の知識が広まることにより,結果として血液型と性格が関連する予言の自己成就が生じる可能性を示唆した。これが正しければ,1980 年代から 20 年経過した 2000 年代では実際に血液型と性格が関連してしまうという予測も成り立つ。しかし,本研究は,2000 年代のデータで血液型間の差は見られないことを示した。そのため,血液型と性格に社会的な意味での関連が生まれる予言の自己成就は起きていなかった。

データを精査しなければならないことは承知しているけれども、面倒なんで(それじゃいけないんだけど)、気になったことを書いてみる。


Sakamoto & Yamazaki(2004)の論文は1980 年代のデータを使用したという。ところで血液型性格判断ウィキペディアによれば大正時代に既にそれらしきものがあったらしいけれども、一般に流行したのは能見正比古『血液型でわかる相性』(1971年)であろうと思われる。


つまり1980年代というのは、それから10数年しか経ってないことになる。ちなみに俺が血液型性格判断を知ったのはおそらく1975年頃のことで、まだ数年しか経ってなかったことになる。しかし当時はそんなことは知る由もなかったのである。


この当時にあっては比較的新しいこの「理論」はどういう人達に受け入れられたのだろうか?おそらくは若者の方が積極的に受け入れたのではないかと思う。実際俺の両親は血液型性格判断に全く興味を持っていないが、それは科学的思考力が高いからというわけではない。そんな話は若い頃には全く流行していなかったからというのが最大の理由だろう。


1980年代はまだ血液型性格判断が流行してからそれほど月日が経っていない。現在はそれから30年が経過している。この研究に用いられたデータは2000年代のものなので80年代から20年後ということになるけれど、その間にすっかり日本に定着してきた。


とすれば、80年代の調査で血液型間によって性格に有意の差があり、それが「予言の自己成就」が原因だとすれば、2000年代にはその差はもっと顕著になっていると予想される。ところがデータを分析したところでは、そうなっているどころか分析の結果は「血液型と性格との間に意味のある関連性はみられていない」というものだった。


これをどう解釈すればいいのだろうか?


1つにはこの分析に問題があるということが考えられる。論文で著者の縄田健悟氏が述べられているように、このデータは「心理学で扱われているような性格の測定を目的として測定されたものではなかった」ことに問題があった可能性はある。しかし同じく論文で述べられているように、そうであっても「血液型が性格に影響を及ぼしているならば、これほどの大規模標本の調査であれば拾い出すことは可能だっただろう」。


もしこの分析に問題が無かったとすれば、そもそも「予言の自己成就」自体が疑わしいという可能性もある。つまりSakamoto & Yamazaki(2004)の論文に問題があったのかもしれない。


ただし、それとはまた別の可能性もあるように思われる。それは1980年代においては「血液型性格判断はそれなりに有効な仮説」と看做されていたという可能性だ。もちろん当時であっても既に疑似科学であるにはあったのだけれども。つまりブームの初期段階においては「科学者は否定するけれどもしかしたら本当かもしれないではないか」という心理が非常に強くあって、その影響で「予言の自己成就」が生じたのではないかということだ。それが2000年代になると80年代よりも血液型性格判断は一般化したけれども、80年代よりも本気度が違う、つまりオカルトに対する態度が、一部の真剣に取り組む人がいる一方で、多数のネタとして楽しむ人に分解して、後者は「もしかしたら本当かも」という考えがある一方で、あまり深入りもしたくないという感じで、性格に与える影響力が薄まってしまったのかもしれないと思ったりもするのである。



いやよくわからないんだけども…