日本の幽霊の手(その3)

昨日ふと気づいたんだけれど、幽霊のステレオタイプのあの手の形だけでなく、額に三角の布(「宝冠」その他の呼び方がある)を付けてる絵も画像検索でほとんど見つからない。


唯一検索でヒットした絵を調べてみたら『怪物画本』という画集に収録されている絵だそうだ。明治14年1881年)刊行。ネットで公開しているところが複数あるけれど国文学研究資料館のが見やすい。


問題の絵のタイトルはそのものずばり「ゆふれい」
「ゆふれい」


で、それはそれとしてこの『怪物画本』に気になる絵がある。タイトルは「つるべ女」
「つるべ女」

手を前に出していて、それが途中で折れて下にだらんと垂れているところは幽霊のステレオタイプにそっくりだ。ただし手首が見えるわけではない。ドクロが服をきていて先端部分は何もないので垂れ下がっているのではないかと思われる。とはいえ先端部分は3本の指のように見えなくもない(でも指ではないのだろう)。また普通の服ではこんなになることはないので何を表現しているのか意味不明。手の部分はステレオタイプの原型になったと一部でいわれている円山応挙の絵と若干似ているといえなくもない(全体的にはかなり違うけど)。


で、この「つるべ女」とは何ぞや?ということで検索したところ


というツイートがあった。

狂骨(きょうこつ)は、鳥山石燕による江戸時代の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』にある日本の妖怪の一種。平成以降には、京極夏彦による小説『狂骨の夢』でも知られる[1]。

白髪の生えた骸骨姿の者が、白い衣を纏った幽霊のように、井戸の中から釣瓶に吊られて浮かび上がった姿として描かれており、解説文は以下のように述べられている。

狂骨は井中の白骨なり

世の諺に 甚しき事をきやうこつといふも このうらみのはなはなだしきよりいふならん[2]

狂骨 - Wikipedia


※あとこの解説が興味深い。
石燕妖怪画私注(近藤瑞木)(PDF)


これこそが幽霊の手のルーツ、つまり鳥山石燕が発案者ではないのか?という気がしてきた。あくまで気がするだけだけど…


ところで狂骨の衣装(衣装なのだとしたらの話だけど)が、胸にボタンがある西洋の服っぽく見えるのだが、これは何なのだろうか?狂骨自体は日本の妖怪(石燕の創作?)だけれど、絵にする際に西洋の妖怪を参考にしたのだろうか?なんでことも思ったりする(手の先の意味不明さも元々は意味があったのが日本人には理解できずに意味不明になった可能性があるかも)のだが、情報が少ないのでよくわからない。