そもそも狂骨が幽霊の手の原型になったというのは俺の勝手な妄想で、そこから先にさらに妄想を膨らませるのはどうよとは思うんだけれど…
「狂骨」と「つるべ女」の姿はほぼ同じ。「狂骨」が先で「つるべ女」が後。ウィキペディアの「狂骨」の説明に
白髪の生えた骸骨姿の者が、白い衣を纏った幽霊のように、井戸の中から釣瓶に吊られて浮かび上がった姿として描かれており、解説文は以下のように述べられている。
とあるように釣瓶に吊られているから「つるべ女」と命名したんだろう。
他に「計宇古都奈之(きょうこつなし)」というそっくりな妖怪がいる。東洋大学所蔵の『化物尽くし絵巻という史料に載っているという情報がある。
⇒kyoukotunasi
ネット上には鮮明な画像は無いようだ。
ウィキペディアに「化け物尽くし絵巻」の項目があるけれど、そこに「計宇古都奈之」は無いので別物だろう。ただし命名方法が
絵巻中では、狐火には名前にふりがながなく、本絵巻独自の11種の妖怪はいずれも名前にふりがなが書かれている。このことからこの11種の妖怪は、ふりがながなければ読み方すらわからないほど、一般的には知られていない妖怪であり[1][2]、逆に狐火にふりがながないのは、よく知られたもののためとも考えられている[3]。
⇒化け物尽くし絵巻 - Wikipedia
というあたりは類似しているので、全く無関係というわけでもなさそうではある。
それと先にも引用さした 氷厘亭氷泉さんのツイッターに
「計宇古都奈之」と「つるべ女」は石燕の「狂骨」と背景道具が瓜ちゃんだから、明らかに影響下とわかるけど、「狂骨」と「けうこつなし」どっちのほうが先なのかはむづかしい。石燕の前に「後神」を描いてる絵巻かも知れないものも存在してたりするからダネ。
— 氷厘亭氷泉 (@hyousen) 2014, 10月 28
と書かれている。「狂骨」と「計宇古都奈之」の前後関係はわからないっぽい。
石燕の解説文では、激しさを意味する方言「きょうこつ」はこの狂骨の怨みの激しさが由来だとあり、神奈川県津久井郡には確かに、けたたましい様子や素っ頓狂な様子を意味する「キョーコツナイ」という方言がある。
とある。「キョーコツナイ」とは「きょうこつな」が訛ったものだろう。
⇒石燕妖怪画私注(近藤瑞木)(PDF)
によれば「きょうこつ」という言葉は「中世以降かなり日常的、口語的に用いられて」いたそうだ。口語的であるから意味が変化しやすいと思われ、鳥山石燕が「甚しき事をきやうこつといふ」と書いているのも、辞書類に掲載されていないからといっても、そういう意味で限定された場で使用された可能性は十分あるのではなかろうか?
「狂骨」も「計宇古都奈之」も、この口語から命名されたもののように思われ、「狂骨」が先なら「甚しき事」という意味の「きょうこつ」の語源としての妖怪という設定になるだろうけれど、「計宇古都奈之」が先であればその限りにあらず。「キョーコツナイ」の意味が「けたたましい様子や素っ頓狂な様子」であったのが、鳥山石燕が採用するにあたって自身の理解する「きょうこつ」の意味(=甚しき事)で再解釈し、そこから「恨みが甚だしい」という妖怪の説明が出来上がった可能性もある。本来の意味が「けたたましい様子」だったらこんな妖怪の説明にはならないだろう。
なお『石燕妖怪画私注(近藤瑞木)』によれば『日本国語大辞典 第二版』の「きょう・こつ 【軽忽・軽骨】」の項目に『「大げさなさま」「ヒステリックなさま」などを意味する方言(神奈川県)」の用法を載せているそうだ。妖怪の姿がドクロなのは「軽骨」からきているのかもしれない。
長くなったのでつづく