付喪神について(その3)

先に「『付喪神絵巻』以前に「付喪神」という名前の妖怪に関する伝承や信仰は無かった可能性が非常に高いのではないか」と書いたけれども新情報。


正応4年(1291)の奥書がある河野美術館蔵『伊勢物語註 冷泉流』に

もゝとせに一せたらぬつくもかミと云ハ、百鬼夜行神の事也。本文云、狸𤞟狐狼之類満㆓百年㆒」致㆓人㆐恠喪㆒。故号㆓属喪神㆒畏怖也。是ハ百鬼夜行神の九十九より神通を現して、人に煩をなす様に、此人も老たる人に我を思かけて、煩ハしき事を思ハすると云也。されハ其になそらへて、つくもかミと云也

冷泉家伊勢物語抄』(宮内庁書陵部蔵)に

つくもがみとは、百鬼夜行の事也。陰陽記云、狸𤞟狐狼之類百年致人恠喪、故名属喪神(ツクモカミ)といへり。是はりとうころうとう[狸𤞟狐狼等]のけだ物、百年いきぬれば色々のへんげ[変化]と成て人にわづらひをあたふ。是は必夜ありきてへんげをなすゆへに、夜行神ともいふなり。九十九といふ年よりへんげそむる也。仍百年に一とせたらぬつくもがみといふ。女九十九にはあらねども夜ありきて業平をのぞきてわびしく心くるしき喪(ワザハイ)をつくる故に付喪神(ツクミガミ)といふなり。……夜行神事、実義也

日本/付喪神 - 幻想動物の事典
とあるという。上の「正応4年(1291)の奥書」が正しいのなら、『付喪神絵巻』よりも前に「妖怪つくもがみ」の存在が伝えられていたことになる。とはいえ記事に「奥書の年代が正しいかは不明だが」とあるように素直に信じて良いものかという疑問はある。特に百鬼夜行神の事也」とあるのは『百鬼夜行絵巻』があってのことなのではと疑いたくなる。あと言うまでもなく『付喪神絵巻』の「付喪神」は器物の変化だが、こっちでは年を取った獣の変化である。しかも最終的には人間の女性までが変化するということにして『伊勢物語』とつなげている。なお『陰陽記』も『陰陽雑記』と同じく未確認の模様。


ちなみに『付喪神絵巻』においても、「崇福寺本」には

百鬼夜行なとゝ申事は無候しより、たゝ人のいゝつたへたる、空ことかと思侍るに、まのあたりかやうの事の候けるそや、あさましさは。

という「国会図書館本」にはない記述があるという。
⇒[付喪神絵巻]国会図書館本と崇福寺本の相違点[まとめ]:烏山奏春のブロマガ - ブロマガ
どっちが先かは非常に重要な問題。


可能性としては「つくもがみ=百鬼夜行神」という説を前提として『付喪神絵巻』で器物の妖怪の行列が描写されているという考え方もできるかもしれないけれども、逆に『付喪神絵巻』の器物の行列が百鬼夜行だと解釈されていったとする方がしっくりくる。『百鬼夜行絵巻』に描かれる百鬼が必ずしも器物の原型をとどめておらず、獣の変化に見えることから、獣が変化したという考え方が出てきたように感じる。しかし『付喪神絵巻』で器物の妖怪が器物の姿をしているという説明はなく、

或は男女老少の姿を現はし、或は魑魅悪鬼の相を変じ、或は狐狼野干の形をあらはす。

とある。器物の妖怪の伝統的な描写でも必ずしも器物の形で描かれているわけではないのである。


(つづく)