付喪神について(その4)

付喪神絵巻』以前に付喪神なる妖怪は存在したのか?これは重要な問題 だが確実なことはわからない。個人的には『付喪神絵巻』による創作の可能性が高いと思う。今後その前提で考察を進める。


なぜ『付喪神絵巻』は器物の妖怪を「付喪神」と呼んだのか?当然のことながら『伊勢物語』の「つくも髪」との関係が想像できる。しかし「つくも髪」は白髪の女性という意味であって妖怪ではない。もちろん「つくも=九十九」だからといって九十九歳の女性というわけでもない。年老いた女性にすぎない。それがどう繋がっているのかが謎である。


ところで『付喪神絵巻』によれば1百年経過した器物が付喪神になるという。しかしそのような設定はこれ以前には無かったと思われる。器物の妖怪としては『今昔物語集』に出てくるものが『付喪神絵巻』研究において引き合いに出されることが多いらしい。ところが『今昔物語集』における器物の妖怪は、たとえば「東三条銅精成人形被掘出」は土の中にある提が人に化けたものであって古道具とは書いてない。まあ土に埋められたのは古くなって捨てられたからだと解釈できないこともないけれど。『化物草紙』に

いつの世のにか、ふり腐りたる銚子の、柄の折れたるぞありける。これが化けけるぞとて、

とあり、これは明らかに古道具であるけれども、器物の妖怪だからといって必ずしも古道具だという属性があるわけではなく、その点が強調されているのでもない。ただし、これが中国になると割とその点が記されてはいるようである。

怪異を起こす器物には、古いものや地中に埋没したものが多い(あくまで傾向であり、条件ではない)

器怪研究|ちりづかアーカイブ
論文「『太平広記』の「精怪」譚から見た日本の器怪譚と『付喪神記』」だとさらに詳しい。一覧表に「正体の属性」が記してあるが、「経年・埋没・破損」とあるのが多い。


そこで思うのが「経年・埋没・破損」の共通点は「人に使われなくなる」であろうということ。


で、元に戻って「つくも髪」である。『伊勢物語』のこの女性は子供が三人いる。もちろん九十九歳ではないが、決して若くはない女性である。すなわち男にちやほやされる年齢ではないということだ。

百年に一年たらぬつくも髪われを恋ふらしおもかげに見ゆ

をそれを前提に意訳すれば「もう男に相手にされる年齢ではない女が自分に恋をしている面影に見える」ということになるだろう。


すなわち「つくも髪」は「男にとって(恋愛の)用のない女性」であり、「付喪神」は「人にとって用のない道具」ということになる。もしかしたら用のなくなった古道具のことを『伊勢物語』になぞらえて「つくもがみ」と呼んでいた人がいたのかもしれない(それが世間一般に広く使用されてないにしても)。


付喪神絵巻』の本文を見れば、古道具が妖怪に変化したのは実は百年経過したからではない

「さても我等、多年家々の家具となりて、奉公の忠節を尽したるに、させる恩賞こそなからめ、剰へ路頭に捨て置きて、牛馬の蹄にかゝる事、恨みの中の恨みにあらずや、詮ずる所、如何にもして妖物となりて、各仇を報じ給へ。」

とある。これはそもそも冒頭の説明と矛盾している。百年経過したら妖怪になるのなら、毎年妖怪は発生しなければならない。しかるに本文は「康保の頃(964-968)」の一度きりの出来事である。『付喪神絵巻』本文の器物が妖怪化したのは、百年経過したからではなく人の用に立たなくなって捨てられたのが原因の特殊事例であると解釈することが可能であり、これが『伊勢物語』の「つくも髪」の女性との共通点であろう。そしてこの妖怪を「つくもかみ」と命名したことから「百年経過」という属性が発生したのだろうと推測することも可能ではないか。


そう考えると冒頭の「百年に一年たらぬ付喪神の災難」というのも、全くの創作ではなくて(百年経過とは限らない不要になった)古道具を捨てることを『伊勢物語』になぞらえて「百年に一年たらぬつくも髪の災難」と呼ぶことが実際にあった可能性も無くはないように思えてくる。

※ なお本文中に「付喪神」という言葉は一度も使用されておらず、この点について論議があるようだけれども、本文中の妖怪の属性こそがまさに「つくも髪」との共通性を有しており、逆に冒頭の説明だけでは「付喪神」と「つくも髪」との関係が不明瞭になってしまうのである。


(つづく)