付喪神について(その5)

付喪神」が「つくも髪」に由来することはほぼ疑いないと思っている。次の問題はなぜ「つくもがみ」を「付喪神」と漢字表記するのかということ。これについて解説してるものは見つからなかった。俺は今まで「狐憑き」などの「憑き」と同じで憑依するというような意味で「付」なんだと漠然と思ってたけれども、付喪神とは何かということを調べるにつれ憑依的な要素が見当たらないということがわかってきた。ただし全くないというわけでもなく微妙なところ。


付喪神」という文字を見れば「喪が付く神」ということになるけれども「喪が付く」ってどういう意味なのか?辞書を見ると

1 人の死後、その近親の者が、一定の期間、外出や社交的な行動を避けて身を慎むこと。親疎により日数に長短がある。「喪に服する」「喪が明ける」
2 わざわい。凶事。災難。

喪(も)とは - コトバンク
とあり、当てはまるとすれば2の「わざわい。凶事。災難。」だろうが、「わざわいが付く神」ということになるけれども、わかったようなわかあないような。「わざわいを付ける神」ならまだわかるけど、そう読めるんだろうか?


で、これはあまりにも奇抜だから書こうか書くまいか悩んだのだけど、一応書いとくと、今まで『付喪神絵巻』と書いてきたものは『付喪神記』とも言う(というかこっちの方が学術的には使われてる)。他に『付喪神絵詞』等がある。崇福寺本は内題に『非情成仏絵』とあるそうで、これが本来のタイトルだという考え方もできなくはない。ただ『付喪神記』と書いたとき『付・そうじんき』と読めてしまうのである。「そうじんき」と言えば『捜神記』であり、この書こそまさに『付喪神記』との関係が指摘されている書物なのである。

 道具の妖怪は、以上のほかにも、『百鬼夜行絵巻』その他に挿絵つきで登場してきます。中世になってなぜ道具の妖怪が日本に登場してきたのでしょうか。これを日本国内だけの視野で説明してきたこれまでの大勢のなかで、中国文献の影響をかんがえる田中貴子氏の卓抜な論があります(「『付喪神記』と中国文献―「器物の怪」登場の背景をなすもの―」『説話文学と漢文学汲古書院、一九九四年)。

 田中氏はつぎのようにいいます。

1. 『付喪神記』冒頭にいう『陰陽雑記』は漢籍文献に典拠をもとめることによって信憑性を高めようとする仮託の可能性がつよい。。
 2. 中国の六朝時代の志怪小説『捜神記』の巻十二の「天には五つの気があり、それが変化して万物が形成されるのである……いやしくも天から気をさずかれば、かならず気がともなう。いやしくも形があれば、かならず性質が生ずる」、巻十九の「六畜(牛、馬、羊、犬、鶏、豚)から亀、すっぽん、草木の類にいたるまで、年老いたときはすべて神が宿って怪異を働くものだ。だからこれを五酉という。五酉とは五行それぞれのこのようなものが生ずることを意味するのであって、酉とは老年のことだ。すべて年をとれば怪異をおこすが、殺してしまえば、それで終りとなる」などの主張には『陰陽雑記』の引用ときわめて近い思想がうかがえる。
3. 巻十二の中略した部分には春分秋分が物の変化する時分であると記されるが、これは『付喪神記』のなかで古文先生が説く「すべからく、今度の節分を相待つべし、陰陽の両際、反化して、物より形をあらたむる時節なり」という変身の論理と類似する。
4. 『付喪神記』上巻末尾には、妖怪たちが人間の楽しみをすべて味わいつくそうと詩歌の会をもよおし、絵合わせ、博打、碁などをおこなう。これと類似の場面が『太平広記』の「姚康成」、「元無有」にみられる。鉄銚子、笛、箒、杵、灯台、水桶、こわれたこじりなどが空家でひそかに詩の会をもよおし、人にみられてしまう。

諏訪春雄通信 75

いや、突飛なのはわかってる。そもそも『付喪神記』が正式名称なのかわからないのに。けれどもこの偶然はただの偶然ではなくて付喪神記』は『付捜神記』というダジャレの可能性は捨てきれないようにも思うのである。

で、驚くべきことに、念のために「付捜神記」で検索したらヒットしたのだ。最初は誤字かと疑ったがそうではない。Noriko T. Reiderという学者(南山大学)のれっきとした論文である。タイトルは「Animating Objects: Tsukumogami ki and the Medieval Illustration of Shingon Truth」
国立国会図書館デジタルコレクション - Animating objects : Tsukumogami ki and the medieval illustration of Shingon truth
英語苦手なので自信ないけど、まさに『付喪神記』は『付捜神記』と主張してるように思える(間違ってたらごめん)。


(つづく)