付喪神について(その6)

先に『付喪神記』は『付捜神記』だという仮説を立てたが、よくよく考えれば同様にしてもう一つの可能性が浮かんでくることにも気づいた。『付喪・神記』である。「付喪」は「ふそう」と読め、すなわち「扶桑=日本」に通じる。


これまた突飛な考えだということは自覚しているけれども、気になるのは

古文先生申しけるは、「それ造化のききは一気渾々として、かつて人類草木の形ある事なし。然れども陰陽の銅、天地の爐に従ひて、かりに万物を化成せり。我に若し天地陰陽の工にあはば、必ず無心を変じて精霊を得べし。昔、托礫物いひ虞氏名車となる、これ豈陰陽の変を受けて、動植の化を致すにあらずや、須く今度の節分を相待つべし、陰陽の両際反化して物より形を改むる時節なり、我等その時身を虚にして、造化の手に従はば妖物と成るべし。」と教へければ、各命をかうぷりける。紳のはたにしるしてぞかへりける。

の部分。意味不明の部分もあるけれど、大まかにいえば「造化」の力によって「無心(心が無い)」の器物が「精霊」を得るということだろう。ここで重要なポイントは「かつて人類草木の形ある事なし」。人類や草木も造化の力によって誕生したのであり、器物もまたそれらと同様のもの(正確には妖物だけど)になれるということだろう。これをこの物語の本論から推察すれば、人間もまた器物妖怪の付喪神と大きな違いは無いということになるのではないだろうか?


そして

 或時、妖物の中に申しけるは、「夫れ我が朝は本より神国にて、人みな神道を信じ奉る。我等すでに形を造化神にうけながら、彼の神をあがめ奉らざる事、心なき木石の如し、今よりして此の神を氏神と定めて、如在礼奠を致さば、運命久しく保つて、子孫繁昌せむ事疑ひあらじ。」とて、やがて此の山の奥に社壇を建てて、その名を変化大明神と号し奉る。立烏帽子の祭文の督を神主とし、小鈴の八乙女、手拍子の神楽男などさだめおきて、朝に祈り夕に祭り申す事、猛悪不善の妖物とは申しながら、信に傾く志、かの盗跖が五常の法に相似たるかな。

これまた、人間が神を崇めるのと何ら違いは無い。そして「夫れ我が朝は本より神国にて、人みな神道を信じ奉る。」とあることからして、「人」というのは具体的には日本人(扶桑国の住人)のことである。


要するに、付喪神は日本人のパロディーであると言えるのではないか?ただ、多少の違いはある。それが何かといえば「仏教の信仰」ということになろう。この時点での付喪神達はまだ仏教に帰依していない。


付喪神記』のストーリーを単純化すれば、「心の無い器物」から「心の有る妖物」へ変化し、さらに「発心」して成仏するということになる。この物語のテーマは「草木非情、発心修行成仏」である。「情」の無い草木でも発心して修行すれば成仏することができるということだ。だが「発心」というからには心が備わっていなければならないのではないか?


そう考えたとき、器物が成仏するためには心を得なければならない。すなわち器物は付喪神という心の有る存在に変化することにより、成仏する条件が備わったということになるではないか。しかるに人間もまた造化の力によって心を持つことになったのである。しかしそれだけでは付喪神と何ら変わることはなく、発心修行しなければならないということになる。


だとすれば器物だろうが人間であろうが成仏するためには、神と仏の両方が必要だということになる。それこそが扶桑国(日本)の有り様だという考え方がこの物語に内包されているのではないか?


と考えれば『付喪神記』=「付喪(扶桑)・神記」も無いとは言えないよなと思ったりしてみたり。


※ 要は「つくもがみ」に漢字を当てるときに、「喪」の字自体に意味があるのか、それとも「も」とも読め「そう」とも読める漢字として「喪」を選んだのかということだ。もちろん「も」とも読め「そう」とも読める漢字には「藻」もあるから、「喪」にしたのは不吉な字を当てたのだろうとは言えるけれども。