付喪神について(その14)

次に「精霊」について。

陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すと云へり。

我に若し天地陰陽の工にあはば、必ず無心を変じて精霊を得べし。

辞書的には「精霊」とは

せい‐れい【精霊】
1 万物の根源をなすとされる不思議な気。精気。
2 あらゆる生物・無生物に宿り、また、その宿り場所を変え、種々の働きをするとされる超自然的存在。
3 死者のたましい。霊魂。
デジタル大辞泉の解説

となるが、ピタリと一致するものは無いと思われ(わからないけど)。


そもそも「精霊」とはそれで一つの単語なのか?それとも「精と霊」という意味なのか?『今昔物語集』「東三条銅精成人形被掘出」には、

其の霊は何こに有そ、亦、何の精の者にて有そ

此れは銅の器の精也、辰巳の角に土の中に有

と「精」と「霊」が分けられてる。この場合は銅の器の「精」が人の姿になって現れたということで、「霊」は土の中にある、すなわち銅の器の所在地にあると解釈できると思われ。ただし、銅の器から「精」が抜け出して人の形に化けたとも、銅の器が人に化けたものを「精」と言い、霊だけが地中にあるとも解釈可能かもしれない。
『太平広記』の「精怪」譚から見た日本の器怪譚と『付喪神記』(PDF)
では後者の可能性を指摘している。物理的に考えれば(というのも変だが)土中にある物質が土の外に出るのは不可能と思われるので、「物の怪」は銅の器そのものではなくて、そこから抜け出した非物質の「精」であろうと俺は思う。しかしながら、この『今昔物語集』の話に出てくる「精」や「霊」と、『付喪神記』の「精霊」は異なるものだろうと思われ(少しは関係するかもしれないが)。


次に「精霊を得る」とはどういう意味かということ。内部で生成されるのか?それとも外部から取り入れるものなのか?上の辞書に「あらゆる生物・無生物に宿り」とあり、「宿り」とあるからには外部から取り入れるということになると思われるけれども、この場合もそうだとは限らない。ただ

或は男女老少の姿を現はし、或は魑魅悪鬼の相を変じ、或は狐狼野干の形をあらはす。色々様々の有様、恐ろしとも中々申すずかりなり。

と器物がいろいろな姿に変化したのは、得た「精霊」の種類が異なるからと考えられなくもないような気もするが、考えすぎかもしれない。


あと「必ず無心を変じて精霊を得べし」というのは、「無心を変じることによって精霊が得られる」という意味なのか?それとも「無心を変じることと精霊を得ることができる」と言う意味なのかもわからない。


このあたり、仏教その他の知識をフルに動員しなければならないように思うけれど、俺には到底無理。だからわからないということだけ記しておしまい。


あと追加で

然るに顕宗の学者の曰く、阿含の意に依るに、道路屋宅にみな鬼神ありて、寸隙を空しうする事なし。いまこの器物の妖変を思ふに、必ずかの鬼神の託せらるなるべし。器類、豈、其の性あるべきやと云へり。

の「性」というのもどういう意味なのかという問題がある。ついでにこの文章全体の意味するところも気になる。顕教の学者が「この器物の妖変」について鬼神が介在したもの(という意味だろうか)と説明したという。それは間違いだと筆者は言ってると思われる。文意の解釈に自信はないけれども、「この器物の妖変」というからには、この学者は『付喪神記』が出来る前にこの「事件」を知ってたということになる。つまり付喪神の話が流通してた、というように読めてしまう。しかしそうだろうかと疑わざるをえない。可能性としては、(1)実際に流通してた。(2)『付喪神記』の未完成原稿みたいなのを見せた。(3)この部分も作者の創作。(4)「この器物の妖変」というが『今昔物語集』などの別の器物妖変を指している。(5)その他。様々な可能性が考えられ、これもまた悩ましい。
※(追記 4/9 『大鏡』「師輔伝」にあるような百鬼夜行を指している可能性。ただしこの場合は百鬼夜行は器物が何らかの形で関わっているという知識が前提になければならない) 


あと、『付喪神記』は「崇福寺本」「国会図書館本」で違いがあり、「崇福寺本」が先だという説がの方が支持されてるっぽいんだけれど、俺にはそうは思えない。この話のテーマと俺が考えるものからすれば、「崇福寺本」は大事な部分が削られ、余計なものが加えられているように思える。