青山成重と大久保長安と『甲陽軍鑑』(その3)

(1)青山成重は服部平太夫(蓑笠之助)の実の弟という説があるが、一方、大蔵道知の弟という説がある。

(2)青山成重が大蔵道知の弟だとすれば、大久保長安は青山成重の兄弟の子で甥と考えられる。

 

その大久保長安の従兄弟(青山成重の甥)と考えられる大蔵彦十郎という人物がいる。有名じゃないかもしれないが甲陽軍鑑』の筆記者とされる人。『甲陽軍鑑』の末書下巻初の端書に

春日惣次郎、弾正言葉おぼえて、爰に書付申候。今壱人ハ右申大蔵彦十郎とて、大蔵大夫之是もあねの子なり。大蔵道入がためにまごなり。彦十郎・惣次郎両人、甲陽軍鑑合二十三冊の筆者也。仍如件。

とある(『甲陽軍鑑大成』酒井憲二)。つまり大蔵彦十郎は大蔵大夫の姉の子で大蔵道入の孫だという。ここで言う「大蔵大夫」は大蔵道入の子で名前は不明。その大蔵大夫の姉は、当然大蔵道入の娘で大蔵道知と青山成重の姉か妹でもあるわけで、その子の大蔵彦十郎は青山成重の甥であり大久保長安の従兄弟ということになる。

 

 

なお、甲陽軍鑑』(甲斐叢書刊行会)は

〔全集〕春日惣二郞爰に記、武田方には、國々大小社に大形如此の殃有、敵方家康には、簑笠之助と云扶持人の、猿樂夢想に、

 するがなるふじの御山でかひくふて

是を家康公、熨斗付の、刀脇指大小買取て、ひらかるれば、此年男子を儲給(私に曰此御男子は台德院殿秀忠公の御事なり)勝賴公に凶事あれば、敵にはか樣の吉事有て、危國の躰なり、

と『信玄全集(甲陽軍鑑全集)』の記事を載せる。ここに「簑笠之助」が登場し、彼が猿楽師であることを記し、さらに秀忠出生と結び付けた逸話となっている。ただしこの記事が果たして『甲陽軍鑑』原本に載っているのかは疑わしい。とはいえ無視もできない悩ましい記事。
 
 
そもそも蓑笠之介(服部平太夫)が、西郷局の実父(あるいは養父)なのか?そもそも徳川家康に仕えていたのか?仕えていたとしていつからか?武士だったのか猿楽師だったのか?様々な疑問点がある。だからこそ面白いとは言えるけども。
 
 
ところで、『燕石十種』所収「猿楽伝記」に、
長命清左衞門家は猿樂起りの時分より笛の家也。子孫清左衞門か家本家也。枝葉茂り謠狂言ともに分れたり。簑笠之助と云ふ者初は長命平太夫といふて狂言師也。渠伊賀の服部の末の者故服部と改號。其子孫簑笠之助と號、無役にて寶生座に居たり。
とある。つまり服部平太夫(簑笠之助)の最初の名は長命平太夫だという。猿楽に詳しくないので不明な点が多々あるが、山城猿楽長命座というのがあったそうだ。服部平太夫(蓑笠之介)はその一員だったのだろう。長命座は金剛座に吸収されたそうで、宗玄(鷺仁右衛門)という人物が宝生座に移ったらしい。簑笠之助が宝生座に付いたのも同様の経緯ではないかと思われる。
 
 
書き忘れてたが、蓑笠之介(服部平太夫)は宝生座の猿楽師。一方、青山成重の出自の異説である大蔵道知の弟説の大蔵道知は大蔵座だが金春座系統。
 
 
その大蔵道知の伝記が『老人雑話』に載る(『類聚名物考』より)。
○大藏道知○〔老人雜話〕江村專齋話 大藏道知ハもと猿樂の家にて南都に居る 道意ハ小鼓の上手なり 拍子かけ聲鳴音殘る所なき古今の上手とみな人のいへり 道知か弟にて年廿計も下なれハ道意に鼓習たる者今も多しとなり
(中略)
○大藏道知道意ハ道入といふ者の子なり 道入ハ今春及蓮か弟なり 道意ハ宮增か弟子なりしを道入同心になくして宮增か師みの權頭か直弟となる 宮增ハみの權頭といふ者の子なり
大蔵道知と大蔵道意は大蔵道入の子。道意は宮増の弟子だったが、父の道入の同意なくして宮増の師匠の「みの権頭」の直弟子になったと。宮増は「みの権頭」の子であると。
 
(4/6追記)『古事類苑』によれば
宮增は美濃權頭と云者の弟子なり
 
ここに「みの権頭」という人物が出て来る。「みの権頭」は「美濃権頭」。ただし当然「蓑・巳野」と同音(蓑氏は巳野氏とも表記する)。『伊賀観世系譜の虚実』(宮本圭造 2013)は蓑笠之介の「蓑」を
同家が山田の美濃大夫の系統を引く大和猿楽の末裔であった可能性はかなり高そうである。
とする(ただし『世子参究』(香西精 1979)で指摘されてることらしい)。とにかく大蔵道知に比較的近いところに「みの」姓の人物がいる。
 
 
それともうひとつ、蓑笠之介(服部平太夫)は宝生座で、大蔵道知は大蔵座で金春座系統だが、服部平太夫こと長命平太夫長命家と大蔵家の関係は深かったとする論文がある。『大蔵虎政と平尾』(関屋俊彦 2000)
 
青山成重は服部平太夫(蓑笠之助)の弟なのか?それとも大蔵道知の弟なのか?
 
 
非常に興味深い問題だと思う。
 
これで一応、青山成重についてはおしまい。だがこれは服部平太夫をめぐる問題のほんの一部にすぎないのであった。