暑さで脳がとろけそう

クルーグマンさん、何を仰います?: hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

クルーグマンの新著『さっさと不況を終わらせろ』について、池田信夫氏が「りふれは」を皮肉った論評をしているのを、さらにまた「ニュースの社会科学的な裏側」さんが論評しています。この三重構造がなかなか面白い。

そこにhamachan先生を加えて四重構造の出来上がり。


「ニュースの社会科学的な裏側」の記事をみると、まるで「増税」を隠蔽することで池田氏に都合の良いようにクルーグマンの主張を改竄しているかのように受け取れるけれど、池田氏クルーグマンが「正論」を主張していると言ってるわけじゃないですよね。


「いまだに彼をリフレの元祖として崇拝する向き」に対してクルーグマンはこういう主張をしているよって言ってるんですよね。


そういう文脈ではクルーグマンの「増税しろ」という主張を池田氏が隠蔽する動機がありませんよね。池田氏は自分の主張とクルーグマンの主張が同じだということを言いたいわけじゃないんですからね。

なんだか頭が混乱しそうですが、

いや、俺の頭は混乱どころか溶解しそうです。


しかしhamachan先生の言ってることもわかりにくい。この件に関しては池田氏悪くないですよね。hamachan先生と池田氏の関係を知ってると、何かここでも池田氏批判しているような感じがしてしまう。多分そうじゃないんだろうけれど…


ところで「ニュースの社会科学的な裏側」の記事は非常に奇妙に思えるけれど、なぜ「増税」にこだわっているのかといえば、おそらくは、米国ではそれが有効だけれど日本は違うという理屈が働いているんじゃなかろうか?すなわちクルーグマンは米国について述べたのであって、日本については別の処方箋を提示するだろうという考えがあるのではなかろうか?あくまで推測だけど。


(追記)
やっぱりよくわからん。「増税」をスルーすることは「リフレ派」批判として適切ではないという意味じゃなくて、増税して財政支出を増やすことは効果があるということを言ってるのだろうか。でもそれなら誤読というよりも意見の違いだと思うけれど。

ペリーはどうして大西洋経由で日本に来たのか?

無駄な知識などない:まさかペリーが太平洋横断して日本に来たと思ってる奴はいないよな?


もちろん知っていましたとも。


しかし理由についてはあまり深く考えていなかった。


単純に東インド艦隊だから」と思っていた。


このまとめブログのコメント欄にも「はてぶ」のコメント欄にもいろんな説がある。
はてなブックマーク - 無駄な知識などない:まさかペリーが太平洋横断して日本に来たと思ってる奴はいないよな?


その中では燃料補給の必要からというのが多い。本当にそうなのか?

Q5 太平洋航路が開かれていたのに、どうしてペリーは大西洋経由できたのだろうか?

A5 経由地で日本の情報を得るためであった。それだけ開国させる強い意志があった。琉球、小笠原に先に行き、拠点化している。

と高校の先生がおっしゃってます。
詳しくわかる高校日本史


この「太平洋航路が開かれていたのに」というのは

・この後、西部の開拓が進行し、どうしても日本を開国させる 必要が出てくる。1846年、アメリカはメキシコと戦争をし、ニューメキシコ、カリフォルニアを領土とした。48年、カリフォルニアで金が発見され、49年には世界中から10万人が金掘り に来た。西部は急速に発展し、52年、パナマ地峡横断鉄道ができ、ここからサンフランシスコへの航路が開かれた。
・ロンドン−喜望峰−上海とニューヨーク−サンフランシスコ−上海は同日数で移動ができるようになり、太平洋航路で清国との貿易をする強い希望が出される。

ということだそうだ。これを信じれば太平洋航路の方が早いということになる。ゆえに航海上の理由ではなくて、それ以外の理由(情報収集のため)ということになるんだろう。



ただし良く見れば、「ニューヨーク−サンフランシスコ」は船ではなくて鉄道での移動だ


ニューヨークから船を使うのだとしたら、日数は鉄道よりもかかるだろう。


ペリーは日本に行くことさえできれば、交通手段は何でも良かったというわけではない。

ペリーは日本開国任務が与えられる1年以上前の1851年1月、日本遠征の独自の基本計画をウィリアム・アレクサンダー・グラハム海軍長官に提出していた。そこでは、以下の様に述べている。

任務成功のためには4隻の軍艦が必要で、その内3隻は大型の蒸気軍艦であること。
日本人は書物で蒸気船を知っているかもしれないが、目で見ることで近代国家の軍事力を認識できるだろう。
中国人に対したのと同様に、日本人に対しても「恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう」
オランダが妨害することが想定されるため、長崎での交渉は避けるべき。

日本開国任務が与えられると、計画はさらに大掛かりになり、東インド艦隊所属の「サスケハナ」、「サラトガ」(帆走スループ)、「プリマス」(USS Plymouth 同)に加え、本国艦隊の蒸気艦4隻、帆走戦列艦1隻、帆走スループ2隻、帆走補給艦3隻からなる合計13隻の大艦隊の編成を要求した。しかし、予定した本国艦隊の蒸気軍艦4隻の内、使用できるのは「ミシシッピ」のみであった。さらに戦列艦は費用がかかりすぎるため除外され、代わりに西インドから帰国したばかりの蒸気フリゲート「ポーハタン」が加わることとなった。

黒船来航 - Wikipedia


ペリーは「大型の蒸気軍艦」を必要としたのだ。


「大型の蒸気軍艦」はどこにでもあるという代物ではない。「ミシシッピ」は東海岸ノーフォークにあった。「サスケハナ」他は上海にあった。


まさかペリー艦隊全てが同時に大西洋航路で日本に来たと思ってる奴はいないよな?


さて東海岸ノーフォークから上海経由で日本に来るのに、大西洋航路と太平洋航路のどちらが早いであろうか?
※(A)「ロンドン−喜望峰−上海」と(B)「ニューヨーク−サンフランシスコ−上海」(途中鉄道使用アリ)は同日数だから、「ニューヨーク−ロンドン」間に必要な日数と、「ニューヨーク−サンフランシスコ」間の船舶利用と鉄道利用に必要な日数の差分を比較すれば概算ができるだろう。


なおパナマ運河が開通したのは1914年のことである。


そういうことじゃないの?


あと、まさかペリー艦隊が全て蒸気船だと思ってる奴はいないよな?



参考⇒パナマ地峡鉄道 - Wikipedia

ペリーはどうして大西洋経由で日本に来たのか?(その2)

いろいろなページ見てみたけれど中途半端感がある。

(4)ペリー艦隊が、太平洋を通らなかった理由?
 まず、アメリカの歴史を調べてみましょう。アメリカ合衆国が、大西洋岸から太平洋岸までの領土になったのは、ペリー来航以前で、十年もたっていませんでした。ペリーが来航した当時は、大西洋側にしか海軍基地が整備されてなかったのです。もちろん、太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河は出来ていません。
 しかも、当時の蒸気船の能力では、途中で水と石炭燃料を大量に補給しないと、太平洋横断は無理だったのです

横須賀市自然・人文博物館


「蒸気船」を使うことが前提になっている。日本に行くのだけが目的であれば蒸気船でなくたって良いでしょう。さらに蒸気船が必要だったとしても上海にあるのだったら、そこで乗り換えればいいわけで。


すなわち、ペリーが大西洋航路を使ったのは貴重な蒸気船の一つがノーフォークにあり、それを日本に見せ付ける必要があったからということになるのではかろうか?


ところで、果たして

 しかも、当時の蒸気船の能力では、途中で水と石炭燃料を大量に補給しないと、太平洋横断は無理だったのです

は事実なのか?ノーフォークを出航してから後も西海岸までは補給は比較的容易であろう。


西海岸から日本までの航路で補給は必要なのか?もちろん日本に行くのに必要な分だけでなく帰りも必要だが、それは上海まで行ければ良いということになろう。ペリーの親書にカリフォルニアから日本まで18日間で行けるとある。


また補給が必要だとしても、それは不可能なのか?補給物資を積んだ帆船を連れていけばいいのではないか?ハワイなどでの補給は不可能なのか?



というわけで調べてみると、二度目のベリー来航時の軍艦ポーハタンは、カリフォルニアまで太平洋航路を使っている。

1860年2月13日(安政7年1月22日)、ポーハタンは正使の新見正興、副使の村垣範正、監察の小栗忠順らを含む日本使節団77人を乗せ横浜を出港した。同じく米国に向かった咸臨丸は2月9日(安政7年1月18日)に横浜を出港している。途中激しい嵐に遭遇し、石炭を使いすぎたため、補給のためにホノルルに寄港。サンフランシスコには米国に直行した咸臨丸より遅れて、3月28日に到着した。その後、パナマ地峡経由で東海岸に向かう日本使節団をパナマまで送っている。

ポーハタン (蒸気フリゲート) - Wikipedia

これでわかるのは、ハワイで補給が可能なことと、「石炭を使いすぎたため」補給が必要になったということ。なお蒸気船といっても帆走もする。


ところで、ポーハタン号は安政7年旧暦1月22日(2月13日)横浜を出港して、旧暦3月8日(3月28日)にサンフランシスコに到着した。約1ヶ月半かかったことになる。一方ペリーは1852年11月24日ノーフォークを出港、浦賀来航は1853年7月8日のこと。7ヶ月以上かかっている。


もちろん言うまでもないが、これが最短の所要時間ではない。東インド隊司令官のペリーには他にもやることがあっただろう。

薄桜記と薄桜鬼

娯楽作品は連鎖する。─「薄桜記」と「薄桜鬼」騒動について思うこと。 - 死んだ目でダブルピース
経由。
薄桜記と薄桜鬼 - Togetter


なんか微妙。



『「薄桜記」の方が先なのに「薄桜鬼」のパクリだと言い出す人がでてくるだろう。出てきたら馬鹿にしてやろう。』


というのが先にあって、それらしき発言を見つけたら叩くみたいな感じ?


本気でパクリだと言って糾弾している発言ってあんまりないんじゃね?勘違いしたという発言は多数あるけれど、「薄桜記」が一般常識というわけでなし、勘違いしたぐらいで馬鹿にされたのではやりきれないですわな。


それと

@3110_snow 知ってますよ。調べました。ただ、薄桜鬼ファンとして、この時期にやる薄桜記が気にくわなかっただけですよ。お気に障ってしまっていたら、申し訳ありません。
Rene_Tamaki 2012/07/12 12:41:16

という発言があるけれど、実際NHKが「薄桜鬼」の人気にあやかって「薄桜記」をドラマ化しようと考えたという可能性は十分あるんじゃないの?


「それはない」みたいに断言している人がいるけれどどういう根拠があって断言できるんだろうか?まあ、たとえあやかったとしてもNHKがそれを告白する可能性は低いから安心してそういうこと言えるんでしょうけどね。