ザビエルの件

『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』によるミスリードと嘘 - Togetter
はてなブックマーク - 『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』によるミスリードと嘘 - Togetter

実際には「信じる人が救われるなら俺のご先祖様は救われないのか?」と反論した人々が、ザビエルの「主なる神の恩恵の助けによって、罪の償いができる」という説明に納得して入信し、二ヶ月で500人もの人が洗礼を受けたという話でした。

参考サイト
http://seseragi.jesuits.or.jp/11-special/sp13-index.htm
ここの「ザビエルからの手紙」に当該箇所についての記述があります。


(これだとまるで先祖が救われると説明したように受け取れるし、そう勘違いしている人も上のまとめの中にいるけれど)この「参考サイト」を見てもそんなこと一切書いてないんですけどね。

「〔日本人には〕地獄に落ちた者になんの救いもないのはたいへん悪いことと思われ、神の教え〔キリスト教〕より、彼らの宗派の方がずっと慈悲に富んでいると言います。このような大切な質問のすべてについて、主なる神の恩恵の助けによって、罪の償いができると説明し、こうして彼等は満足しました。

どこに「俺のご先祖様」が救われるなんて書いてありますか?


「主なる神の恩恵の助けによって、罪の償いができる」のは信者であって、洗礼を受けていないご先祖様は救われないんですよ。「俺のご先祖様は救われないのか?」という質問に対してザビエルは「助ける方法はない」と答えたんですよ。


つまり、そういう疑問を持った人のうちの一部の人が入信したとしても、それは先祖が救われないということを納得したか、その部分は納得してなかったけれど他の部分に納得して入信したということになりますね。しかし納得できずに入信しなかった人は多かったでしょうね。ザビエルの目的は単に信者を獲得することではなくて日本をキリスト教国にすることですから、山口の町で500人前後の信者を獲得したからって、それは決して成功じゃないんですね。


ちなみにこの「助ける方法はない」というのは、この部分ではなくて日本人の「信者」の質問に対してこう答えたということであります。上の山口での布教での質問にザビエルがちゃんと答えたか、質問をはぐらかしてしまったのかは定かでない。


(追記)
はてブのコメント

TakahashiMasaki
つーか,元の記事がるいネットって時点で信じてはだめ案件だってみんな気付いてほしい

いや、るいネットの信頼度がどの程度なのか知らないけど、この元記事に関しては特におかしなところは無いですね。「納得し入信した」の部分が抜けているからどうだっていうんでしょうね?入信したかしなかったかじゃなくて「困った」ということを書いてるんだから何の問題もありませんね。

2ちゃんまとめには確かに同意できない書き込みが多々あるけれど、るいネットの記事を読んだ感想が書いてあるに過ぎないのであって「誤解している人がいるな」的なことしか感じませんね。それと比べるとこのTwitterのまとめの方が余程たちが悪いですね。

勝利条件

昨日「おおやにき」について書いたけれど、そこにこういうことが書かれている。
武力と日常(1) - おおやにき

つまり同書の焦点は対立、特に武力対立であるところ、対立する両者の勝利条件というのは必ずしも綺麗に表裏になるわけではない。両者とも勝利条件を満たすとか、逆に両者とも失敗する事例も想定できるので、当事者Xが勝利条件を満たせなかった→反対当事者Yの勝利とは言えないでしょうと、そういうこと。これが「前者」とした「「対立」から中世史を読み解くという視覚から種々の戦争についても論じているが、攻めた側の戦略目標が実現されれば勝ち、そうでなければ負けと単純化している部分があり。攻めさせるということもあれば双方とも戦略目標実現に失敗というケースもあるよねえと。」の内容。

ザビエルの目的が「話を聞きに集まってきた人々をキリスト教に入信させること」であったのなら、山口で500人が受洗したというのは確かに勝利だろう。しかしザビエルの目的は日本をキリスト教の国にすることだ。ザビエルが日本にいた約2年の間に入信した日本人の数はいろんな説があるみたいだが、700〜2000人程度であるらしい。


ザビエルは日本での布教に失敗したのだ。というのが大方の共通認識だと思っていたのだが、Togetterへの反応は心底驚いた。


ザビエルは困惑した。いや史料に困惑したとは書いてないかもしれないが困惑したに疑いない。ザビエルはもっと容易に布教が可能だと考えていたのだ。そう考えたのは日本にイスラム教が入ってないという理由だったらしい。


500人が入信しました。だから何なの?って話だ。


布教失敗の原因は様々なことが考えられるが、その中の一つに祖先崇拝が存在するのは間違いのないところだろう。しかし、ザビエルは信者を獲得するために、洗礼を受けていない者が救われるなどといった自身の信念と異なることを言えるはずもなかったのである。


なお、キリスト教といっても、様々な考えがあり、救われないというわけではないという考え方も存在する。ザビエルがそうではなかったということだ。

話を整理しようか

批判者が言ってるのはこういうこと。

実際には「信じる人が救われるなら俺のご先祖様は救われないのか?」と反論した人々が、ザビエルの「主なる神の恩恵の助けによって、罪の償いができる」という説明に納得して入信し、二ヶ月で500人もの人が洗礼を受けたという話でした。

『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』によるミスリードと嘘 - Togetter

ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=164843&g=122204
「日本人達がザビエルの話を聞いて納得し入信した」部分が省略されている。

2ちゃんのスレまとめ(日本人:哲学ニュースnwk)
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4384349.html
よくある「一神教は偏狭で多神教は寛容」説や妙に歪曲された日本age的なミスリードが行われた。

そして「ザビエルの布教は失敗した」かのような説がツイッター上で流行する…


そもそも「二ヶ月で500人もの人が洗礼を受けた」から何だというのだろうか?


るいネットの元記事は日本人が質問したことについて書いているのであって、話が噛み合っていない。


たとえば小学校で生徒が先生に小学生がするようなレベルを超えた高度な質問をした。先生がその質問に答えた。という話で「この小学生は凄い」という反応があったときに「小学生は先生の答えに納得したのだ。大事なことが抜けている」という批判は妥当だろうか?そんなことはなかろう。小学生が納得しようがしまいが質問をしたことが凄いのだ。


既にこの時点でおかしいのだ。


無論、このような質問をしたことが本当に凄いことなのかという問題はある。批判するならそこを批判すべきなのだ。そして批判すべき点は確かにある。またなぜ日本人はこのような質問をしたのかという問題もある。またザビエルが何に困ったのかという点でも問題がある。それらの点で2ちゃんねるまとめサイトの書き込みの中には大いに問題点があるものがある。それについては煩雑になるのでここには書かない。


だがTogetterのcrape_myrtle_という人の批判はどう考えたって基本的におかしい。詭弁のガイドライン「6.一見、関係がありそうで関係のない話を始める」に該当する。


まあ、はてなブックマークの有象無象がおかしな主張を支持することは今に始まったことじゃないのでどうでもいいが、今回ブックマークしてる人の中にfinalvent氏やuumin3氏やその他知った人がいるのが気になる。コメントが無いので支持してるのか単に気になったからブクマしてるのかは知らないけれど。


特にantonian氏が

いかにも怪しい記事内容と、同じく怪しい「るいネット」に釣られる現象によって、カルトに真っ先に騙される人々発見装置化してたのが面白うございました。

コメントしてるのは一体どういうことなのかと思うところであります。

悲しくなる

ザビエルはキリスト教の矛盾を論破されたのか説得したのか問題 | Kousyoublog
という記事が出てきた。この記事自体はとても参考になるし大変ありがたい。これを見ると実際にザビエル書簡に出ていることと意味合いが違う部分があるようだ。まあ一番ありえそうな原因は、るいネットの筆者の捏造・歪曲というよりは、玉石混交のネット情報を拾ってきたのだろうということではなかろうか。


だが、既に書いたように、
『ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人』によるミスリードと嘘 - Togetter
のcrape_myrtle_という人は、

「日本人達がザビエルの話を聞いて納得し入信した」部分が省略されている。

ということを問題にしているのであり、仮にるいネットに書かれている日本人の質問が100%捏造だとしてもcrape_myrtle氏の批判は全く噛み合っていないである。そしてこのまとめをブックマークして同調コメントを書いている人達も同じである。


こんな単純なことが理解できない人が多いというのは、もし16世紀の日本人の知的水準が高かったとしても、現代の日本人はそうでもないということを身をもって証明しているのである。


まあ、おそらくは、2ちゃんねるまとめから不健全なナショナリズムの匂いを嗅ぎ取って、それへの反発から、それを批判してはいるが、よりおかしな主張を支持しちゃいましたってことだろうと思う。

ザビエルは何に困ったのか

何度でも繰り返すが、Togetterの批判は全くおかしな主張である。


それを踏まえた上で、るいネット記事の問題点を指摘しておく。


まず、

ザビエルは困ってしまいまして

について(もっともここは別のブログからの引用部分だが)。


ザビエルが困ったといっても、それはザビエルが気付いていなかったキリスト教の矛盾を指摘され困ったということではない。そんなことはザビエルにとっては解決済みの問題である。ザビエルが困ったのは、当初の予想ではもっと容易に日本にキリスト教を広げることができると考えていたのに反して一筋縄ではいかないと気付いたからである。ザビエルはイスラム教には警戒感を抱いていたが、土着信仰についてはさほど布教の障害だとは考えていなかったと考えられる。なぜなら他の地域では実際そうだったからである。ところが日本においてはそうではなかったことを知ることになったのだ。


さて、このことは次の

「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」

に関係する。実のところこれは話が逆である。ザビエルは当初、日本人は文化水準が高いから日本での布教は容易だろうと考えていたのである。ところが意外にも土着信仰の力が強かったのである。もちろん、この場合の「文化水準」なるものは、ザビエルからみたキリスト教基準の文化水準のことである。なおザビエルがもっとも問題視したのは男色の習慣であった。もう一つは仏教の抵抗が強かったことだ。ザビエルは仏教の力を過小評価していた。日本に来てそれが誤りであることを思い知ったのである。もちろん日本に仏教が浸透しているからといって、それをザビエルが「文化水準が高い」などと考えるはずもない。ただしそれを日本側から見れば「文化水準が高い」と言うことは可能である。「よほど立派な宣教師でないと、日本の布教は苦労するであろう」というのは、原文を見れば僧侶との討論に勝つためであり、すなわち僧侶の学識が高いからと解釈することも可能だが、ザビエルから見れば学識が高いのではなくて邪悪だからということになるわけであり、学術論文にこんなことを書いたら失格である。しかし、そこまで目くじら立てることかといえば、こんなに大騒ぎになったからこんなことろまでつっ込まれるのであり、普段だったらスルーされるところであろう。