今日は何の日?パート2

ところで3月18日は、「精霊の日」でもある。

精霊の日
柿本人麻呂和泉式部小野小町の3人の忌日がこの日であると伝えられていることから。

(『今日は何の日〜毎日が記念日〜』)


ところが、それだけではない。奇妙なことに他にもまだまだいっぱいある。弥彦神社新潟県)の祭日が旧暦の三月十八日であることに注目した谷川健一氏は、次のように書いている。

 三月十八日については、藤田冶雄氏も注目していることであるが、柳田国男の「一目小僧その他」がその日の重要性に気付いて言及している。柳田によると、三月十八日は、小野小町和泉式部など漂泊流離の美女の忌日であるだけでなく、盲目の平景清、一眼を失した鎌倉権五郎景政、あるいは黍畑で目をついたという伝承をもつ柿本人丸に縁由ある日であった。すなわち人丸と景政の忌日は三月十八日とされ、日向の生目八幡社にまつる景清の祭日は三月と九月の十七日であったとして、(以下略)」。

(『鍛冶屋の母』)

気になって調べてみたらまだある。

ただし新暦か旧暦か未確認なので関係ないのもあるかもしれない。泰澄については『鍛冶屋の母』でも触れられているのだが3月18日と関係ないところで触れられている。谷川氏は知らなかったのかもしれない。ということは一般的に認められている忌日ではない可能性もある。


とはいえ非常に興味深い。谷川氏はこれについて「金属精錬」と関係あるのではないかと推測している。そこでは触れられていないが、金華山秩父はモロに金属と関係がある。


さて、こういうことは「日本とは何か」ということを研究するのに、大いに重要なことだと思うが、世間ではあまり関心がないようだ。特に歴史に関心のある人は「歴史的事実」ということを重視して、「史実なのか史実ではないか」とか、「政治的意図がどこにあるのか」とかばかりに関心があるように感じる(例外はある)。それが大いに不満だ。


推古天皇の36年3月18日に本当に仏像が網にかかったのか?それが本当に金無垢だったのか?なんてことはどうでもいいことのように思う。というか証明しようがないが事実ではないだろう。事実でないことを茶化すより、何で3月18日なのかってほうがよほど重要なことなんじゃないかと思う。

鍛冶屋の母

鍛冶屋の母