「保留する」とは「信用しない」ということ

例えばコンビニでサンドウィッチを買ったとする。
俺は何の疑いもなく、それを食べる。信用しているからである。
もちろん疑えばきりが無い。
誰かがこっそり毒を入れたかもしれない。
しかし、そんなことは滅多に無いだろうと思っている。
リスクとリターンを考えて、一旦信用できると思えば、一々疑うということはしない。
信用した結果、死んでしまうかもしれない。
だが、それは俺の責任ではないと考える。
責任でないと考えても、死んでしまうことには変わりない。
それは嫌だ。でもそこはあきらめるしかない。


俺は、「俺の責任ではない」と考えるが、他の人はそう考えないかもしれない。
お前の注意不足だと批判されるかもしれない。
そして、それは確かにその通りである。
俺だって、もし俺が例えば「VIPの食事番」だとしたら、細心の注意を払う。
というか、そもそもコンビニでVIPの食事は買わない。
材料を吟味して、信頼できる料理人に料理してもらって、さらに毒見係に毒見させる。
しかし、自分の食べる分で、そんなことをしている余裕はない。
どこまで注意を払うべきかについては人それぞれである。
だから、俺の基準では信用できるものでも、他の人から見れば信用できないということはあるだろう。
ただし、誰かから、「それはお前の責任だ」と批判されたら、「そんなことはない」と味方してくれるレベルというものはあるだろう。
明確な基準があるわけではないけど。


ところで、これが「道路に落ちていたサンドウィッチ」だったとしたらどうだろう?
俺は絶対に食べない。おそらく、ほとんどの人がそうであろう。
そんなこと当り前のようだが、ちょっと考えてほしい。


「道路に落ちていたサンドウィッチといえども、絶対に危険であるとは言えないではないか。
それを食べないなんて、道に落ちていたサンドウィッチに対する差別ではなかろうか?」


馬鹿なことを言っているようだが、これも一理ある。
地球資源を考えるなら、捨ててしまうなんてもったいない。
しかし、安全を確認しなければ、食べるなんてとてもできっこない。


すると、こんな批判をされるかもしれない。
「お前はコンビニで売られているサンドウィッチを何の疑いもなく食べているではないか。
コンビニで売られているものだって100%安全というわけではない。
お前のやっていることはダブルスタンダードだ。」
と。


ダブルスタンダードだと言われれば、確かにその通りである。
だが、道路に落ちているサンドウィッチは安全を確認できるまでは絶対に食べることはできない。
ダブルスタンダードを解消するためには、「安全を確認しない」という方向ではなく、
「安全を確認する」という方向で、解消させなければならない


しかし、全てのものの安全を確認するという行為は非常に煩わしいし、現実的ではない。
信用できる店で買ったものは安心して食べればよいし、道路に落ちているものは食べないという単純なことをしていれば、100%安全というわけではないが、滅多に危険な目に遭わないし、それで十分である(もちろん、かつては信用できる店であったとしても、一度何かあれば信用はなくなる)。


ダブルスタンダードであるということを自覚しながら、ダブルスタンダードを続けていくというのが、現実的な対処方法であると思われる。しかし、そうすると必ず、それはおかしいと言う人が出てくる。


ブログ界隈で騒がれている、ある現象も、まあこれと似たようなことだろうと思っている。