忠臣信長

桶狭間の一戦に英雄たる本質を現し、長篠の戦いと安土の築城に新時代開発の武将たることを示し、そして将軍義昭を追放して足利幕府を否定し、朝廷をうやまってその重臣たることを名誉とし、天皇を奉じて天下を統一しようとした信長は、天下布武の志いまだその半ばにして、わずかの油断のために倒されてしまったのでした。

物語日本史(下) 平泉澄 講談社学術文庫


NHKの大河ドラマ『巧名が辻』。昨日は本能寺の変前夜。大河ドラマを半年も見続けるのは久しぶり。まあ、仲間由紀恵が目当てなんだけど…
信長は朝廷をないがしろにし、天皇を不要な存在とみなし、自ら神になろうとしていた。これがよく見る信長像。


ところが以前はそうではなかった。信長は朝廷を尊崇し、皇威の復活に尽した大忠臣。今とは正反対。
戦前の皇国史観を否定した戦後の歴史観は、信長像を一変させた。信長は非科学的な宗教を否定した合理主義者となる。
さらに、それはエスカレートして、信長は朝廷への反逆者としてヒーローとなり、中には皇室を廃止して最高権力者になろうとしていたというような主張さえ出てくる。


それが疑いようの無い事実であるかのように見ている人も多い。「信長は忠臣だ」などと言ったら、頭がおかしい人と見られかねないほどである。


果たしてそれほど確かなことだろうか?最近はそうではないという主張をする歴史学者も出てきた。
しかし、反逆児信長というイメージはまだまだ根強くある。なぜこれほど強固なイメージとなってしまったのであろうか?
それは、「合理的精神」が戦後の時代の風潮と合致していたからだろう。それを象徴する過去の偉人として、信長像は拡大再生産されていった。
もちろん、戦前は戦前で、「忠臣信長」が都合良かったという面もある。事実よりも、時代の要請のほうが優先されているのである。
こういうのが、「歴史を歪める」ということなのだが、なぜかそういうことを毛嫌いする人も、信長に関しては、まず自分のお好みの信長像が先にあって、それから都合の良い事実を収集して、都合の良い解釈をしているという面があるというのは、そのこと自体が興味深い。
などと言っても、あまりにも根が深いので、無茶苦茶なことを言っていると思われるかもしれない。


ちなみに一例をあげると、「信長は神になろうとした」というのが、信長が朝廷をないがしろにした根拠としてあげられている。
「合理的精神」を持つ信長が神になろうとするというのが、まず矛盾しているのだが、それは本当に信じていたわけではないとすれば説明がつくかもしれない。しれないが、そう簡単に決め付けて良いものだろうか。
次に神になるというのが、朝廷をないがしろにする証拠のように言う人がいるが、神といったってキリスト教唯一神のことではないというのはすぐにわかることだ。それにもかかわらず、神は天皇より上にあるのが当然のように思っているのは不思議なことだ。ここは神と天皇の関係をもっと考えなければならないだろう。神は崇める対象であるが、天皇はシャーマンとして神をコントロールする機能を持っている。そう単純な話ではない。
次に歴史に少し詳しければ誰でも知っていることだが、徳川家康は死後「東照大権現」という神になった。豊臣秀吉も「豊国大明神」という神になった。江戸幕府は朝廷から実権を奪ったというのは歴史的事実であるから、これをもって信長が朝廷をないがしろにした証拠ということになるのかもしれないが、江戸幕府は朝廷を廃止していないというのも歴史的事実である。それに朝廷と幕府の関係も見直す必要があるかもしれない。むしろ「幕府が朝廷の実権を奪った」という「事実」に基づいて証拠固めがされているのかもしれない。そこには尊王史観の影響があるかもしれないのだが、あまり注意が払われているようには思えない。


話は飛ぶが、幕府が朝廷を「統制するための」法律として「禁中並公家諸法度」というのがある。
「一 天子御芸能の事、第一御学問也」
というのは有名で、「天皇は学問や趣味をやっていればいいのであって政治に口を出すな」という意味であると、学校でも教わった記憶がある。ところが、この解釈は「芸能」とは政治となんの関係もない趣味のことであるという現代的解釈の産物ではないかという疑問も出てきている。確かに現代では権力者が芸事に熱中しているのは、むしろ批判の対象だ。しかし過去もそうであったかというと、王が学問を習得するというのは、天下泰平のために重要なことであった。特に日本においては「和歌」というのは、趣味のためにやるものではなかった。言葉には魂が込められている。聖なる人が詠む歌は、人だけではなく天地草木に感応する。天皇は芸能だけやっていればいいということではなく、芸能をやらなければならないのだ。それは実務的な政治よりも、もっと重要なものであったはずである。という見方をすれば、また違ったものが見えてくると思うのだけど…


歴史学というものは、一見科学的に見えて、まだまだ別の要素が大きく影響しているように思われる。