「文化」としての農

農地改革メモ(極東ブログ)


現代史は苦手なんだけど引用してある『読売新聞”戦後体制 農地改革=下”(1998.12.25)』に素朴な疑問。

機械化が進むにつれ、農村人口は減少した。総務庁の産業別就業人口統計で五〇年と六五年を比較すると、農業人口は全体の45%だったのが23%に低下し、 対照的に製造業人口は16%から六五年には24%に増加した。農村から流出した労働力が工業地帯を支えた。大内力・東大名誉教授は「高度経済成長は、農地 改革がプラスに作用したからといっていい」と総括する。

「農村人口は減少した」とは文字通りに解釈すれば、農村の人口が減ったということだ。ところが、次に出てくる統計は「農業人口」に関するもの。しかも就業人口の比率。五十年と六十年で就業人口数が変化していなければ問題ない。しかしこの時代は総人口が増えている。なので、全体に占める割合が減っても、「人口」が減ったとは限らない。まあ実際に減ってはいるんだろうけど、ちゃんとした数字を知りたい。検索してもなかなかヒットしない…


と、こんな疑問を持ったのは、俺の祖父母の時代は子沢山だったから(しかも江戸時代と違ってちゃんと成人する)。長男は家を継ぐために農業をやるにしても、それ以外の者は都会に働きに出るということも多かった。逆に言えば次男・三男が農業をするためには、農地を分割するか新たに開墾するかしか無いわけで、前者の場合、農地は細分化されて生活が苦しくなるし、後者の場合、時代とともに新たな開拓地は稀少になる。というわけで、農業人口が増大するには、いろいろな条件が必要になる。


一方、日本人は家の継続を大切にする。農家の数が増えるのに障壁があるにしても、減る方にもまた、防波堤が存在する。
戦後、機械化等により農業の効率は上昇した。それにより、農業を継続するという点だけを重視すれば、人手が少なくても可能になった。
具体的には、若い男がいなくてもよくなった。じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんの「三ちゃん」で農業をすることができる。男は外に働きに出て、「副収入」を得ることができる。しかも日本人の寿命は延びた。農家の「跡継ぎ」の年齢が上昇する。サラリーマンを定年まで勤めてから跡を継ぐなんてことも珍しくない。


もちろん都市部では廃業してマンション経営等をしている人もいる(それでも小規模に農業をしている人は多い)。過疎の山村では後継者がいなくて廃業している家も少なくない。しかし、純粋に「経済」だけを考えるなら、日本の農家はもっと減っていたことだろう。
そうならなかったのは、「家業を継ぐ」という「経済」とは別の側面があるからだ。それは日本にとって「正」の部分と「負」の部分があるのだろうと思う。


ところで、もう一つ気になるのが「農」とは何かということ。
網野善彦氏の「百姓=農民ではない」という説は良く知られていると思うが、網野氏の『「日本」とは何か』では、明治政府による「壬申戸籍」の職業別人口統計での「農」が実態とかけはなれていることを指摘している。実態とかけはなれていると言えば、現在の「農業」も実際の主な収入は農業以外であっても「兼業農家」と分類されているわけで、これも純粋に「経済」的な観点からのものとは考えられない。現在では、その負の側面が多く指摘されているが、「正」の部分もあるだろう。


これは「産業としての農」と、「文化としての農」が未分化のまま混在していることが原因と思われ、だからといって分化すれば良いかといえば、そうでもなさそうな気もするし、なかなか難しい。