「戦争を知らない子供たち」について(その4)

「戦争の悲惨さを知らない子供たち」について。俺の両親は真珠湾攻撃より前に産まれた。だから戦争を知っている世代。ただし子供だった。父方の祖父は徴兵で中国に行ったらしいが詳しいことは知らない。太平洋戦争には従軍していないと思う。母方の祖父は病弱だったので徴兵免除だったらしい。親戚には戦死した人がいるかもしれないが知らない。両親の実家は農村なので空襲の被害はなかった。農家なので食糧に困っていたわけでもない。


そういう両親に聞かされる戦時中の話といえば、年長者への言葉遣いなどのしつけが厳しかったこと、学校の先生が今とは全然違っていたこと、お前の年頃(小学生)の時には既に農作業や家事を手伝わされていたこと、今のように物が豊富になかったことなどであり、戦争とはあまり直接の関係はなかった。そういうわけで戦争の悲惨さを知るのはテレビや本によるところが大きい。


で、俺らの世代が「戦争の悲惨さを知らない」的なことで言われるのは、まずプラモデル。戦車や戦闘機や戦艦のプラモデルが流行していたけれど、それが悪影響を与えるのではないかということ。次に戦争映画やドラマ。「史上最大の作戦」とか「戦場にかける橋」おか「ナバロンの要塞」とか「ミッドウェイ」とか「トラ・トラ・トラ!」とかあるいは「大脱走」とか、ドラマだと「コンバット」とか。それらの映画に「反戦」のメッセージが多少は含まれているかもしれないけれど、それよりもアクションシーンの方に目が行くに決まってる。特に「コンバット」は「コンバットごっこ」が流行った。それらを不安視する声もあった。あとアニメ。特に「宇宙戦艦ヤマト」。


あとはナチスドイツ。日本はドイツと同盟を結んでいたのだが、戦後のテレビや映画や漫画やアニメにおけるナチスは悪で、その悪は日本人目線というよりはアメリカ目線的なもの。それを自然に受け入れていた。ところが「悪」というのは必ずしも嫌われているわけではない。ウルトラマンの怪獣などに人気があるように、ナチスにも人気があった。その点今よりも全然無頓着だった。もちろんそれは現実のナチスというよりは映画などに登場する悪としてのナチスへの人気であって、その映画などにはホロコーストなどのリアルな悪は出てこない。ドイツ軍のプラモデルも人気があった。ショッカーはどう見たってナチスをモデルにしてるし、他にもナチスをモデルにしたキャラクターはたくさんあった。極めつけはデスラー総統でどう見たってヒトラーがモデル(公式には否定されてるようだが)。また沢田研二は「サムライ」という曲でハーケンクロイツの腕章をつけていた(さすがにこれは問題となった)。ただし、1978年制作のテレビドラマ『ホロコースト』が放送された頃から徐々にではあるが潮目が変わってきたように思う。なぜ今と違って昔はナチスに寛容だったのか、日本だけだったのか?他の国(ドイツやイスラエルでは絶対ありえないが)でもそういうところがあったのかは良く知らない。


しかし、これらは現在のゲームの問題と同じように、戦争映画が好きだからって現実の戦争が好きだということにはならないのであって、当時の子供が大人になって戦争を肯定しているということにはならないであろう。