「貧乏人の子沢山」の謎

この前、
貧乏になれば少子化問題は解決するのか? - 国家鮟鱇
を書いたのをきっかけにして、「貧乏人の子沢山」の意味について少し調べてみたんだけれど、疑問に思うところがいっぱいある。


辞書的には、

貧乏人にはとかく子供が多いということ。貧乏子沢山。

貧乏人の子沢山 とは - コトバンク
と書いてあるだけだ。


なぜ、貧乏人に子供が多いのかということは書いてない。ネットを見れば、「夜の営みしか楽しみがない」とか「避妊具が買えないから」とか、「子沢山だから貧乏」だとか色々な解釈がある。また、「貧しい国ほど子供の数が多い」という話もあれば、「死産率が高いから」みたいなのもある。


しかし、これらは「貧乏人の子沢山」という言葉を各々が独自に解釈した結果であろうと思われ。あるいは何らかの本に書いてあったとしても、それが学術的に検証されたものなのかは極めて怪しい。今のところ出典が書かれたものは見ていない。


そもそもいつからある言葉なのかがわからない。「江戸いろはかるた」に「律義者の子沢山」というのがあるが、「貧乏人の子沢山」はなさそうだ。しかし、江戸時代にはなかった言葉なのかというと、それはわからない。


それに江戸時代について書かれた比較的真面目そうな記事にも「貧乏人の子沢山という言葉があるように」なんて書いてあったりする。この「言葉があるように」というのが江戸時代にあったという意味なのか、現代人が使っているという意味なのか、どっちにも解釈できてしまうのだけれど、思うに、そういうことには関心が持たれていないということなのかもしれない。


で、単純な疑問として、江戸時代に貧乏人が子沢山だったら、江戸時代の日本の人口は爆発的に増えていなければならないのではないかと思う。しかし、江戸時代初期には人口が増えたけれど、中期以降は停滞している。「多産」の場合は、乳児の死亡率が高かったとすれば人口が増えない理由になるだろうけれど「子沢山」という場合は、それは数に入っていないと思われ、ある程度まで育った子なら成人する確率はそれほど低くはないだろうから、辻褄が合わないように思う。


次に地域差の問題。「貧乏人の子沢山」はどこでも同じなのか?江戸の町民の大多数は長屋に住んでいた。部屋の広さは四畳半が一般的。現代だったら一人でも狭く感じるところだけれど、そこに夫婦で住んで子供がいる。そもそも「子沢山」とは何人から上のことを言うのかというのも重要な問題で、俺の感覚では5人以上が「子沢山」なんだけれど、長屋で5人(両親入れて7人)は不可能じゃないだろうけれど、かなり苦しいんじゃなかろうか。しかし、農村地帯ならおそらくその程度の余裕はあるんじゃなかろうかと思う。


もう一つ、地域差として江戸は消費都市であり、町人は米や野菜を金銭を払って購入する必要があり、子をたくさん産めば、子供手当てなどの福祉制度が無い時代であるからして、それなりに稼がなければならない。一方地方の農民は自給することができる。かつて江戸時代の農民は貧しかったと言われていたが、近頃はそうでもなかったという説が有力。栄養補給という目的なら稗や粟でも構わない。ただし稗や粟では金にならないので金になる作物を作らなければ豊かにはなれない。従って「貧乏」だけれど子育てには困らないということもありえるのではないかと思う。そうだとすれば子をどれだけ産むかは、子育ての費用ではなくて、相続問題の方の影響力が大きいのではなかろうか。


今、思いついただけでも、「貧乏人の子沢山」について考えるべきことは多く、それに反してあまり深く研究されていないのではないかとか思ったりする。それは俺が知らないだけなのかもしれないけれど、そうだとしても俺だけが知らないのではなかろうと思う。