江戸は四神相応の地?

という話を聞いたことがある人は多いと思う。


グーグル先生に聞いてみると、

"四神相応" "江戸" の検索結果 約 3,490 件

それなりにあるとはいえ、予想したよりも少なかった(この中には江戸とは関係ない江戸時代の四神相応というのも含まれているだろうし)。


思うに「四神相応」という言葉自体が既に高いハードルとなっており、「江戸は風水都市」としているものが多いのだろう。

"風水" "江戸" の検索結果 約 204,000 件

ただし、この中には四神相応と関係ないものが相当含まれていると思われ、試みに南の朱雀に該当すると言われている「東京湾」で絞り込むと、

"風水" "江戸" "東京湾" の検索結果 約 5,760 件

となる。しかしながらこれも無関係のものが含まれているだろうし、逆に江戸湾と書いてあるものはヒットしないし、上手くいかない。


だが、「四神相応」という言葉が出てこないような記事に貴重な情報が載っているとは思われない。かといって「四神相応」と書いてある記事であっても、「江戸は四神相応の地といわれている」とか「四神相応の思想で設計された」程度のことが書いてあるのがほとんどで、それ以上の情報があるものは少ない。


江戸時代に江戸の四神相応に言及している史料として大道寺友山が書いた『落穂集』(1727)というのがあるのだが、

"四神相応" "落穂集"の検索結果 6 件

しかも、関係ないものと、重複しているものを省けば実質3件だけ。


あまりにも少ないので列挙すると、
落穂集巻1-3内閣文庫(ようこそ大船庵へ)
【5】江戸時代、五色不動はなかった(2)『夏山雑談』に書かれた目青・目黄 まぼろし五色不動 by 松永英明
陰陽師とは何者なのか民俗学・神話学@2ch掲示板)


たったこれだけ。しかも江戸の四神相応がメインテーマではない。何ともお寒い状況。