江戸は四神相応の地(と認識されていたか)?(その3)

タイトルを少し変更。良く考えてみれば、風水ビリーバーにとって、江戸が四神相応か否かという問題は、もし本当は四神相応でないのであれば効果が無いということであり、そこが重要な問題となる。しかし、俺の歴史的関心はそこにはない。関心があるのは当時の人に江戸が四神相応だという認識があったかとういことであり、それが本物の四神相応だろうが、違っていようが構わないのだ。


だから否定論者が江戸は四神相応とはいえないなどと言っても、それはそれで参考にはなるが、既に書いたように、江戸時代の人々が認識していたことは当時の史料から明らかなのだから、それを否定することはできない。


次の問題は、よく言われるところの、四神相応の地である江戸を家康あるいは天海が選んだというのは本当なのかということ。それを証明する史料はおそらく存在しないだろう。江戸時代にそんな考えがあったとする史料があるかも怪しい。断定することは難しいが、思うについ最近のことではないだろうか?加門七海の『大江戸魔法陣』が発行されたのが1997年、宮元健次の『江戸の陰陽師―天海のランドスケープデザイン』が2001年。この頃から徐々に広まっていったのだろう。


江戸が四神相応だとしても、家康が江戸を選んだ理由がそれであると言えないのは当然だ。
(そもそも江戸を選んだのは家康ではなく秀吉だという説が昔からあるし)