「おじろくおばさ」の謎
⇒「おじろく」、何故? - Living, Loving, Thinking
で知った。2008年のエントリーがなぜ今頃になってというのは
⇒【画像】封印された日本のタブー...人権を無視した某集落の奇習「おじろく・おばさ」 | 日刊ナックルズ
という2013年10月20日付の記事が注目を集めているからでしょう。
さて、疑問に思うのは
耕地面積が少ないこの村では、家長となる長男より下の子供を養う余裕がない。そのため、家に残った下の子供は「おじろく(男)・おばさ(女)」と呼ばれ、長男のために死ぬまで無償で働かされた。
家庭内での地位は家主の妻子よりも下で、自分の甥っ子や姪っ子からも下男として扱われる。戸籍には「厄介」とだけ記され、他家に嫁ぐか婿養子に出ない限り結婚も禁じられた。村祭りにも参加できず、他の村人と交際することも無かったため、そのほとんどが一生童貞・処女のままだったと推測される。将来の夢どころか趣味すらも持たず、ただただ家の仕事をして一生を終えるのである。
このような制度はここに限ったことではなくて、日本全国いたるところであったと思われる。しかも農家に限ったことではなくて武士においてもそうだったと思われる。
たとえば井伊直弼
文化12年(1815年)10月29日、第13代藩主・井伊直中の十四男として近江国犬上郡(現在の滋賀県彦根市金亀町)の彦根城の二の丸で生まれる。母は側室のお富。
兄弟が多かった上に庶子であったこともあり、養子の口もなく[1]、父の死後、三の丸尾末町の屋敷に移り、17歳から32歳までの15年間を300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした。
⇒井伊直弼 - Wikipedia
いわゆる「飼い殺し」というやつだ。
農家が子供に土地を平等に分け与えれば耕地面積が縮小し貧窮する。武士も同じで領地を分け与えれば衰退する。そのような愚かな行為をするものを「たわけ(田分け)」と呼ぶ…
というのは俗説だが、しかし中世においては長男以下は主人の下人となるというのはごく普通のことであった。これを「合同家族世帯」と呼ぶ。それが変化するのは江戸時代からだ。このとき何が起きたかというと兵農分離で武士は城下町に集住することになった。そのため都市に需要が発生し市場向けの生産が始まった。これはそれまでの自給と年貢のための生産と異なり、働けば働くほど豊かになる。そのための効率的な形態は小規模家族経営であった。なぜなら他人に命じられて強制的に働かされてもやる気が出ないが、自分自身のために働き、働けば働くほど豊かになるのであれば一生懸命働くことになるからだ。
というようなことが『歴史人口学で見た日本』(速水融)に書いてある。
- 作者: 速水融
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
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なおこの本では諏訪藩の宗門改めを調べたものが載っているが、それによると1720年くらいまで存在した合同家族が1800年、1850年と時代が下がるとほとんどいなくなってしまったと説明している。
同じ長野県なのに、なぜ天竜村にそのような制度があったのか不思議だ。しかも記事によると「16−17世紀ごろから」と書いてある。他の地域では「16−17世紀ごろから」このような制度の崩壊がはじまったはずなのに。
もう一つ謎なのが、「おじろくおばさ」が「分裂病に非常に似た点を持っている」という点だ。女子はともかく男子の場合、ただの労働力ではなく長男にもしものことがあった場合のスペアでもある。井伊直弼は第13代藩主・井伊直中の十四男であったが家督を継ぐことになったのだ。だから少なくとも兄に世継ぎが出来るまでは肉体的にも精神的にも健常であってもらわねば困る。さらにいえば直弼の場合は14代の世子(直弼の兄)が死んだので兄の養子になったわけだから、世継ぎができた後でもまだ可能性はあるのだ。そういうわけだから、当然そのことは家族も当人も自覚しており、そのように育てられることになるのではないかと思うのだ。
そう考えるとこれは病的なものではなくて、単にそういう環境の元における人間の心理を近代の目でみたときに奇異な感じがするというだけじゃないかと思わなくもない。いやよくわからんけど。
※ なお江戸時代には次男・三男あるいは女子は都市で奉公することが盛んであった。ところが「おじろくおばさ」は村から出ないという。これも不思議だ)
※ また
なお、明治5年には人口2000人の村に190人の「おじろく」「おばさ」がいたそうだが、鉄道の開通以来減少し、昭和35年には男2人、女1人になっていたとか。
http://psychodoc.eek.jp/abare/ojiroku.html
人口2000人に対したった190人(つまり約10人に1人)しかいないというのはどういうことか?他は養子や嫁になったのか?それとも明治になって廃れたから減ったということなのか?これも不思議。