「空気」と絶対理性

一連の「炎上」事件に対する言説には納得できないものが多い(特に批判の方に)。「炎上」に対する立場が肯定的だったり否定的だったりするのは人それぞれだろうとは思うが、それを正当化する理屈がどうにも変に思えてしかたがない。


まず気に入らないのが「日本特殊論」で、どれだけ海外の事例を知っているんだってのが凄く疑問。もちろん俺も知らないわけで、知ってたら具体的に提示してやるのにともどかしく思う。海外の炎上事例はあまり日本に伝わってこない。だから存在しないのかといえば、そんなことはないだろう。検索すればアメリカの事例が見つかる。イギリスも少しある。あと中国・韓国の事例もわりとある。(かなりエグいのもある)。それ以外はなかなか見つからないが、それは事例が無いからなのか、日本におけるそれらの国のニュースの絶対量が少ないからなのかといえば、後者の可能性の方が高いように思う。海外にも炎上事例はあるが日本が圧倒的に多いという意見もあるけれどデータがあるわけではない。海外から伝わる炎上はニュースバリューが高いものなのに対して日本にいれば大手マスコミが報じないような炎上も目に入る。学術的な統計が望まれるけれど、炎上の定義は何かとかいろんな困難が予想される。


次に目につくのがご都合主義。言論を抑圧しようとする「空気」といいながら、批判コメントをする人達を叩きまくるとか。当人はおかしく感じていないのだろうが、おかしな話だ。


「空気」については、
個人主義が全体主義とつながっていることの実例
でも書いたが、自分の気に食わないことに対しては「空気」のせいと決め付け、一方、自分達がよってたかって「間違った考え」を叩いても、真理は一つであるから空気に支配されない自由な個人が理性的に判断すればその考えに到達するのが自然な成り行きであり、その考えを持つ者が集団を形成するのは極めて当然のことであるから、「空気の支配」によって叩くのとは全く別物だということになるんだろう。


あと、これも前に書いたが訴訟について、「空気」を否定するなら司法によって決着をつけるのが筋道だろうと思うのに、訴訟に踏み切ることを「空気」を持ち出して批判するというのはどう考えてもわけがわからない。