スポーツ観戦における不適切発言

「私の発言で不快な思いをさせて大変申し訳ありませんでした」と言わせる社会―「千葉滅べ」事件に関する私見: 311後の日本の政治論壇


俺はこの前あの発言に対して「一般論からいえばたわいの無いこと」と書いたけれど、よく考えてみれば「千葉滅べ」という発言が厳重注意という比較的軽い処分を受け、それに対して批判が出るというのは、日本が均一な社会、いわゆる「単一民族国家」であるという認識が一般に浸透しているからであろう。


日本が「単一民族国家」だというと、必ずといってよいほど批判があるわけだ。だけど、そうした日本は単一民族ではないという主張の多くは「アイヌがいるではないか」というようなものだ。そしてもし例の発言が「アイヌ滅べ」というようなものだったら同情する人はほとんどいなかったであろうことが予想される。しかしそれが「千葉滅べ」だったらOKだと思う人が結構いるわけだ。


※ なお、「千葉」とは「千葉ロッテ」のことだという意見もあるが、「千葉に、地域アイデンティティがあるかあ?」という発言があるので、「千葉市」もしくは「千葉県」のことだと受け取るのが自然だし、たとえ千葉ロッテのことだとしても「誤解」の責任は教授にあるだろう。


これが他民族国家だったり地域対立が激しい国でのことだったら、たわいもないでは済まない問題になるだろう。それらの国家においても地域対立を煽るような発言はある。ただしそれはサッカーのフーリガンのような連中が発するものであり、許容されているわけではなくて止めさせようにも止められないといった感じなのではなかろうか?それと同等のことを社会的地位のある人物が発言したら猛烈なバッシングに遭うのではなかろうか?いやよく知らないんだけど…

またはその国や地域などが持つ民族対立[20]、宗教対立[20]、経済格差[20]などの社会問題や政府に対する不満[20]、国民戦線[21]やネオナチ[22]などの極右勢力との結びつき、一部の者が起こす反社会的行為に対する集団心理的同調などが挙げられ、具体的にフーリガンには大きく3つの種類に分類される。

フーリガン - Wikipedia


上の記事には、

 行儀が悪い人は「一部」で、「自分」たちは行儀が良い。こういう二分論は誤りであるだけでなく、危険でもある。行儀の悪さは連続的であるだけでなく、タイミング、条件、そして何より観察者の好みで容易に評価が変わるものである。ここまではOK、ここからはNGと簡単に分けてしまえるものでは決してない。

と書いてあるが、あのツイートに反応した人の発言をみると、ロッテの侮辱は構わないが千葉の侮辱は絶対に許さないと怒っているロッテファンの人がいる。「簡単に分けてしまえるものでは決してない」と言うがチームやファンだけでなく地域までをも侮辱するのはやはりNGではなかろうか。


地域を侮辱しても許されるという感覚は、日本が比較的均一な社会であり、自分が許されると思っている感覚は。他人も共有しているもので許されると思い、あるいは思わなければならないという「甘え」があるのではないだろうか?


※ ところで、日本が均一な社会だという主張に東北の人は他の地域と比較して反感を持っているところがあるように俺は思っている(たとえば大和朝廷に征服された歴史とか、戊辰戦争とか、近代の貧困とかで)。教授も「戊辰の敵ぃ~!」などと書いている(千葉市の大半は佐倉藩で新政府軍に積極的にではないが従った。その恨みか?)だから教授の場合はこれくらいなら許されるだろうということではなくて心の底からそう思ってる可能性も捨てきれない。ただし、この教授の常日頃の発言とは相容れないものであるようには見える。この人は心の奥底では人一倍差別的感情を持っていて、それを理性の力で抑え、さらに学問にまで昇華させていたのが、酒に酔ったことで心の奥に抑えていたものが表に出てしまったのかもしれない。


(追記)
ミランでまた地域差別問題 ナポリを侮辱するチャント - Goal.com
10月20日の記事。外国でも問題になってるじゃん。