「右傾化」って一体どんな現象なんだろう?(その2)

左翼が平等主義で、右翼が格差を容認する方向にあるというのは、大方の意見が一致するところだろう。


ところで、「平等」と言っても、完全な平等などというものは現実にはありえない。単純に考えて、ご飯お茶碗一杯で満足できる人と、どんぶり一杯食べなければ空腹を満たせない人がいたとして、どちらも同じ給料を貰っていたとしたら、後者は他の消費に回せるお金が前者よりも少なくなってしまう。だからといって、後者に余分に給料を与えることは、それはそれで同じだけ働いたのに給料に格差がつくということだし、それじゃあということで、後者は茶碗一杯で満腹になるようにすればいいというのも、生まれつきということもあるし、元々前者はそんな我慢をする必要がないのだから不平等。だから、一口に平等を目指すと言っても、何を最優先にするかを選択しなければならない。


完全な平等がありえない以上、万人が納得できる平等は不可能。それでも、人種差別は良くないなどといった、実践しているかはともかく、多くの人が受け入れているものであれば、善悪の区別ははっきりつく。しかし、そうでないものもたくさんある。さらに、平等を強調しすぎるあまり「逆差別」が発生していると感じたり、弱者であることを強調して不当な利益を得ているのは不平等と感じたりする人も出てくる(ちなみに、それが「正しい情報」による「正しい認識」であるかはこの際関係ない。現状が「不平等」だと感じるということ)。


平等を追求すればするほど、既成の社会に存在する「不平等」「悪平等」に不満が募る。結果、既存の平等主義に対しても、批判の目が注がれることになる。「弱者」であれば救済するのが当然というような大雑把な考え方は否定され、弱者とは何か、弱者と呼ばれているものが本当に弱者なのかについての厳密で論理的で納得のいく説明が求められることになる。


で、現在、「右傾化」と言われている現象は、旧来の左翼から見れば、旧来の左翼の価値観に反する言動ということで、ひとまとめに「右傾化」と呼んでいるのかもしれないけど、実際は、それもまた平等主義の一形態ではないかと考えられるものが少なからずあると思われ。というか統計とったわけじゃないけれど、こっちのほうが多いかもとさえ思うんですよね。つまり左右の対立ではなく左の中の路線対立。


(追記)


これをほぼ書き終えた頃、「平等 弱者」でググっていたら、近頃話題になった赤木智弘氏の記事があった。


深夜のシマネコBlog: 格差社会を容認する類の弱者が望むもの


うなずける部分が多々あるのだが、ブックマークコメントを見ると、賛否以前に理解できていないかのようなコメントが多い。だからこそ、こういった現象を「右傾化」と呼ぶのだろうけど。


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