左利き批判について

痛いニュース(ノ∀`):元フジTVプロデューサーが国分太一へ苦言「左手は ケツを拭く手だ 箸持つな」
J-CASTテレビウォッチ : 国分太一くん、箸は右手で持とうよ


この騒動でびっくりしたのは、俺も長いこと生きているけど、左利きに対してそんな感情を持っている人がいるということを始めて知ったこと。インドでは左手が「不浄」とされているのは知っていたが、日本でもそんな考え方があったとは知らなかった。もちろん子供の左利きを矯正するという話は知っているけど、それは何かと「不便」だからという親心からやっているんだと思っていた。


で、気になったので検索したところここが詳しい。
上野 寛 「右利き社会と左利きについて」(PDF注意)


これによると、日本に左利き差別があったのは確からしい。ただどうもピンとこないのは、俺の周辺にそういった差別のカケラが見当たらなかったこと。ただし、「ぎっちょ」という言葉はあって、言われた方が傷つくということはあっただろうけれど、それは「のっぽ」とか「ちび」とか「でぶ」「やせ」等と同じ感覚でのものであり、それで結婚で不利になるとか、そういう「ひのえうま」的なものとは違うと思う。昔はこれが普通だったのだろうか?それとも特定の地域や宗派ではそういう考え方があって、その人達はそれが普遍的なものだと考えているということだろうか?


たとえば「着物の襟を左前に着ること」はタブーとされているが、これは科学的な理由によるものでないだろう。とすれば、何らかの非科学的理由があるのだろうが、我々は背景について深く意識しているとは思えない。「死装束で縁起が悪い」ということで、仏教だろうが神道だろうが関係なく、やってはいけないタブーになっていると思う。よく知らないけど日本人ならキリスト教徒でも着物を着るときは守っているんじゃなかろうか。人に注意するときも、この人は何教だろうかと配慮するようなこともないように思われるし、注意されて怒る人がいたら、怒るほうが悪いという雰囲気になるんじゃなかろうか。これも国際化した現代では微妙な問題に発展するかもしれないけど。


しかし、利き腕に関しては、そんな共通認識があるのだろうか。「近頃の若者は」とか「年寄りは」とかいう話じゃないように思うのだが、どうもよくわからない。