一次情報に当たるよりも前にやるべきこと(その2)

ちょっと反応があったので書くけど、この警官の事件のような、「マスコミ記事→脊髄反射→詳細がわかって落ち着く→一次情報に当たるべきと反省」みたいなパターンは何度も何度も繰り返されていて、この「一次情報に当たるべき」というのは立派なことだけど、実際にやるとなると大変なことで、そこまでしなければ語れないというのもハードルが高すぎるから、現実的には、「自分は一次情報に当たっていないのだからわかっていない部分がある」という自覚を持って反応すれば良いでしょうというのが主旨であって、このわかっていない部分であるXやYに「メッセージ性」も含まれているわけで、そのXやYを勝手に自己の脳内で補完して「陰謀論」が誕生するというのも、これまた良くあるパターンでございます。


人は「わからないことがある」という状態に不安感を持つようで、それで、①「わからないことを調べる→一次情報に当たる」、②「わからないことは存在しないことにする→わかっている情報のみで判断する」、③「わからないことを脳内補完する→陰謀論に走る」というような行動を取るのだろうと、俺は考えるのだけれど、①はともかく、その他は「罠」に落ちる可能性が高かろうと思うわけで、しかし、慣れてくれば「わからないことがある」という状態でも不安を感じることはなくなり、むしろ「わからないことがある」のが当然で、逆に「わからないことがない」状態の方に不安を感じるようになり、「自分は何がわかっていないのか」を追求することにロマンを感じるようにさえなるだろうと思うわけであります。で、そうなれば、わからないことはわからないこととして、あるがままに受け止めて、それで言及ができなくなるなんてことはないと思うわけです。