「空気」の研究

今頃になって、山本七平の『「空気」の研究』を読んでいる途中なんだけど、なんか微妙。


この本が発行された1977年には、これが話題になる「空気」があったのだろうけれど、それがどんなものだったかよくわからないということもあるんだろう。


おそらく、人が本物の空気が存在していることを普段意識していないように、普段意識していないが人に影響を与えている「空気」というものが存在するということを認知させたという意味で評価されたのだろう。


ただ、ここに書かれている具体的な事柄が、本当にそういう解釈で良いのだろうかというと、俺の脳内は「?」が点滅しまくり。たとえば最初に書かれていてよく引用されている「戦艦大和の特攻出撃」からして、本当かなあと思う。


「空気」の研究には、「空気」が、

専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、

とあるけれど、


海上特攻の経緯(ウィキペディア)には、

特攻命令を伝達に来た聯合艦隊参謀長草鹿龍之介中将に対し伊藤中将が納得せず、無駄死にとの反論を続けた。自身も作戦に疑問を持っていた草鹿少将が黙り込んでしまうと、たまりかねた三上中佐が口を開いた「要するに、一億総特攻のさきがけになっていただきたい、これが本作戦の眼目であります」その言葉に伊藤中将もついに頷いたという。

とある。


これを見れば、この「作戦の眼目」が「一億総特攻のさきがけ」になることであったことがわかるのであり、そうであれば「作戦として形をなさない」ことは、海上特攻を中止する理由にはならない。とすれば、ここでの「空気」とは、「一億総特攻のさきがけ」になれという「空気」であり、それは目に見えないということでは全然なくて、はっきりと目に見える形で示されていたわけで、山本七平の言っている「空気」とはズレがあるように思ってしまう。


俺はこの時代の歴史に詳しくないんで、それは違うという反論もあるかもしれないけれど、その他のことも含めて、この本に書いてある「考え方」については良いとしても、書いてあることを検討することなく、鵜呑みにするのは問題があるような気がする。