うさんくさい集団

似非科学を似非科学的に批判すること - モジモジ君の日記。みたいな。


ある集団が、何かを主張していたとする。それを批判するためには、その集団がどういう根拠でそれを主張しているのかを理解しなければならないが、その集団が発信する情報が理解するためのソースとなる。


その集団の中の個々人が、似非科学的主張を信じているのか、信じてないかということは、本人にはもちろんわかっていることだけれど、外からは判断がつかない。


たとえ、その集団の中の極一部だけが信じているだけだとしても、実態がわからなければ、批判するためには、その似非科学的主張を否定するという労力が必要になる。そして、さんざん苦労して、その似非科学的主張を徹底的に論破したところで、「その似非科学的主張をしているのは、極一部の者だけであり、それを論破したからって勝ったなんて思うなよ」なんて主張がでてくる。


別にこっちだって、それで勝ったなんて思っていないが、そっちがそう主張しているから、今まで時間を費やしてきたのに、それだったら最初からそう判断できるように情報開示しとけよと思いたくもなる。


そういうことが繰り返されれば、その集団は「うさんくさい」と相手にされなくなる。そういう集団が、ある主張の中で独占的な地位を占めていることは、その主張を支持している人にとって利益にならないばかりでなく、支持はしていない、又は態度を保留しているが一理あると考え、議論することによって得るものがあると思っている人にとっても、そういう議論が隅に追いやられてしまい利益にならない。