徳保隆夫さんに言及していただきました。ありがとうございます。
さて、どうすればレイラインの存在することを証明することができるのかという問題。文書史料が残っていれば証明できるだろう。だが今まで発見されたという話は聞かない。これからも発見される望みは薄い。したがって100%存在すると立証することは最初から不可能。
しかし、歴史学は「確実な史料」だけで成り立っているわけではない。史料には限界がある。史料に書かれていない部分は推測で補っていくしかない。Aという事件の原因が史料だけでわからないときは、その前後にあった出来事や当時の社会情勢を基に仮説を立てるしかない。そして、その仮説が合理的で、矛盾がなく、批判に耐えられるもので、他の仮説よりも優位であるかが問題になる。
こういう手法を「アブダクション」と言うのだそうです(ただ今勉強中)。
⇒アブダクション(ウィキペディア)
これをレイラインに適用すれば、これを「偶然」で説明するのと、「人為」で説明するのと、どちらが合理的に説明できるのかということが、最も重要な点になると思う。
現に、歴史学でも、藤原京中軸線上に終末期古墳が分布されていることから、「聖なるライン」という考え方が出され、それに対して、そうではなく藤原京南西部に募域があったのだという考えが出されているが、どちらにしても、史料があるわけではなく、「たまたま」そう見えるだけだという可能性だってあるわけだけど、そう考えるよりも、人為的にそうなっているのだとするほうが合理的であると考えていることに変わりはない。
ですから、まずやるべきことは①「本物のレイラインの発見」。実際には直線とはとても呼べないものを調べたって意味は全くありません。次に②「偶然と評価するのと人為的と評価するのとどちらが合理的かの比較検討」。次に③「いつ、誰が、何のために、どうやってそうしたのかを推理」。次に「推理を元に偶然か人為的かの再検討」、以下②と③の繰り返しということになると思います。
で、Aという考えとBという考えがあって、Aという考え方のほうの可能性が高いとしても(可能性をどう計算するのかという難しい問題を置いといて感覚的なものとして)、それで早い段階で決め付けるのは問題だと思うわけです。もちろん、宇宙人がどうしたとかいうオカルトチックなものは可能性がゼロでないとしても限りなくゼロに近いので無視すればいいですけれど、9対1でAの可能性が高いとしても、Bを無視してよいレベルじゃないと思うわけです。ですから、より詳細な分析が必要であり、その過程でBに決定的な欠点があれば、Bは放棄せざるを得ませんが、今はそういう段階ではないと(個人的には)思います。
ところで、「直線志向」については考古学的な発見がされています。道路を発掘していて山に突き当たり、地図で直線を引いて、山の向こう側を発掘したら、その通りに道が現れたという事例があります。山で遮られているのだから景観の問題じゃありませんし、「実用」を考えるなら、そんなこだわりは必要ないわけであります。もちろん、それをもって「レイライン」が実在するともいえないわけですけれど(この道自体が「レイライン」だと言うことも可能だと思うけれど)、「直線志向」があったことは確実なわけです。
あと、山田邦和同志社女子大学教授の見解を紹介しておられますが、俺の別ブログでも紹介しているのですけれど、その山田教授のお友達の山中章教授は、桓武陵候補地として別の場所を推定しておられ、その根拠の一つとして「桓武天皇柏原陵→坂上田村麻呂墓→天智天皇山科陵が、ほぼ一直線上に並ぶことになる」ことを掲げられております。少なくとも、学者でもそういう考え方をする人がいるということだけは、ご理解いただきたいと思います。
⇒東山通信-7 勝手に援軍の条 - yaaさんの宮都研究
⇒【研究報告版-2】 陵墓研究の新地平」に刺激され 〜祇園会の夜の夢想〜 - yaaさんの宮都研究