美女と首(2)

恐ろしい話はさらに続く。

不倫相手の生首と一緒に女を生きながら戸板や小船に拘束して流すとは……。今日の感覚では信じがたい仕業だが、江戸時代の文献や記録にも、同様の記事がいくつか散見するので紹介しておこう。


その4 朝口重章『鸚鵡籠中記』元禄十二年(一六九九)の記事

伊勢方面から熱田に流れ着いた空穂船(うつぼぶね)に美しい宮女が坊主の首と共に乗っていて、発船の日付と百日経ては陸に上げてもよいと記した書付が添えられていた。船には二十両の金が置かれていたともいう。船には二十両の金が置かれていたともいう。長江の戸板流しそのままではないか。この船のことは当時大いに話題になったらしいが、重章は「虚説也」(作り事だ)と決めつけている。

ちょと気になる部分があるが、それはひとまず置いといて次。


その5 享和三年(一八〇三)二月二十二日の事件。屋代広賢『弘賢随筆』より。

 それは香盒(香箱)の形をした長さ五メートルほどの船で、ガラス張りの天井から中が透けて見え、船底には岩に当たっても砕けないよう鉄板が張られていた(随筆中に描かれた図は、まるで小型のUFOのようである)。不思議な船。しかし船体以上に人々を驚かせたのは、船中に異様な女性がいたことだ。風変わりな衣装を身につけた彼女は、六十センチ四方ほどの箱を大事そうに抱えていた。
 彼女は一体何者か。古老はこう解釈したという。「この女は蛮国の王女で、夫がありながら不倫を犯したので、罰として情夫の首ともども海に流されたのだろう。抱えている箱の中身は情夫の生首に違いない」と。結局この船はどう処理されたのか、弘賢は何も述べていない。ともあれ美女と生首がセットになった漂流物が、不倫の残酷な結末であるという連想は、江戸時代の人々の間でも具有されていたようである。

これは、かの有名な「うつろ舟」ですね。で、前に戻って朝口重章『鸚鵡籠中記』の話にも「空穂船(うつぼぶね)」とある。


さて、これは一体どうしたことか?


似たような話が多数あるのだから、かつてそのような風習があったと考えるべきか?


そうではなく、似たような話が多数あるのは、それが史実ではなく「伝説」だからなのか?


もちろん、俺は後者を取る。


うつろ舟については前にも書いた。
うつろ舟の中の人
小栗判官」の「照手姫」も不義の罪により牢輿に閉じ込められて流された。


この記事を読んで一番の収穫は、江戸の残酷な風習を知ることができたことではなくて、この話が日本だけではなく中国にも存在するということを知ることができたことでありました。