農地改革と農地の集約化の関係

農地改革 – Wikipedia

敗戦後GHQの最高司令官マッカーサーは、寄生地主が日本の軍国主義に加担したとして農地改革を行った。 これにより、地主が保有する農地は、政府が強制的に安値で買い上げ、小作人に売り渡された。これは、全国的に行われ実に7割余りの農地が地主から小作人のものに換わった。これにより、北海道を除いて大規模営農が事実上不可能となり、日本の農業が国際競争力を得られない構造が固定化されることとなった。

ウィキペディアに書いてあるけれど、良くわからない。特に知りたいのは農地改革以前の状態がどうだったのかということ。それと、具体的に農地改革があったのと無かったのとでは、集約化に伴う困難がどう異なってくるのかということについて詳しく知りたい。


(大家と賃借人みたいな関係だったたら、集約化するんで出て行ってくれってのは、それはそれで困難じゃね?)


現在良く言われているのは、相続により、権利関係が複雑になっているので集約化が困難だという話。確かにこれは農地改革がなかったら起きなかった問題だろう。ただ、これが言われる前から農地改革の弊害ってことは言われていたと思う。



あと、検索してみると、農地解放によって農業が小規模化したみたいに書いてある(ように俺には見える)ところもあるけれど、そうじゃなくて元々農業自体は小規模で、地主が土地を所有していたってことだったんじゃないの…と、思っていたのだけど、


戦後の農業政策:ボクが大学で学んだ農業のこと、環境のこと

戦後の占領軍による農地改革によって、戦前の中農標準化によって達成された2−3ヘクタール規模の農業はズタズタになった。


 大地主でも1ヘクタール以上の所有は認められず、その結果日本の農業は0.5ヘクタール未満の狭い土地を家族だけで耕すという非常に非効率な生産を強いられることとなった。

って書いてあった。「中農標準化」なんて初めて聞く言葉だ。全く知らんかった。


自分でも情けないが知らないことがいっぱいある。しかも調べれば調べるほど、知らないことが増えてきてしまう。