平将門の乱と「地方分権」と「地方主権」

9 世紀中期〜10世紀頃になると、従来の律令制(編戸制・班田制など)による統治に限界が見られるようになり、中央政府は租税収入を確保するため、社会の実情に即した国制改革を進めた。その改革は、地方官(国司)へ租税収取や軍事などの権限を大幅に委譲するというもので、国司は中央へ確実に租税を上納する代わりに、自由かつ強力に国内を支配する権利を得たのである。

受領 - Wikipedia

地方分権」という場合、平成期の日本のように、中央政府が指揮命令権を持ったまま、地方を「出張所」として仕事を投げ売りするケースも起こり得る。このように、地方統治の合理化としての「地方分権」は、「中央分権」と揶揄されることもある。

この場合、地方が主体性を持つとの意味で、「地方主権」「地域主権」という語を用いて、「中央主権のままの『地方分権』」と区別することもある。

地方分権 - Wikipedia


俺が、地方に権限を委譲したから「地方分権」で、中央政府の威信が失墜したみたいな言説に違和感を持つのは、まさに、この地方分権」と「地方主権(という呼び方には問題があるみたいだけれど)の違いに鈍感なんじゃないかと思うから。