「ナチスと同じ愚」

村上元行革相が首相批判 「ナチスと同じ愚」 - 47NEWS(よんななニュース)

 自民党村上誠一郎行政改革担当相が月刊誌「世界」のインタビューで、憲法解釈を変更し集団的自衛権の行使容認を目指す安倍晋三首相の政治姿勢を批判した。ナチス政権が全権委任法によりワイマール憲法を形骸化させた歴史を引き合いに「同じ愚を繰り返す危険性がある」と指摘した。


ウィキペディアより

実質的な憲法修正の内容を持つ本案は、本来は可決には総議員の2/3以上の出席を得た上で、出席議員の2/3以上の賛成を必要とした。ヒトラー与党は過半数議席を得ていたが、2/3には足りなかった。そこでナチスは連立与党の国家人民党、鉄兜団などの協力で議院運営規則修正法案を同時に提出していた。この修正案は、委員会や投票に参加しない議員の会議への出席を排除できた上に、排除された欠席議員は全て出席したもの(棄権扱いで、採決の分母から除外)と見なして計算することを可能とするものであった。既にドイツ共産党議員(81議席)は全員が「予防拘禁」、あるいは逃亡・亡命を余儀なくされ、一人も出席できない状態であった。あとは中央党の同意さえ取り付ければ、「円満な採択」が可能な状態となった。

全権委任法 - Wikipedia


これはつまり、ワイマール憲法を改正するには総議員の2/3以上の賛成を必要とする。全権委任法は実質的な憲法修正の内容を持つので、憲法改正と同じく総議員の2/3以上の賛成を必要としたということでしょう。


で、ここが調べてもよくわからなかったことなんで推測で書くけれど憲法改正には「2/3以上の賛成を必要する」とあるけれど、具体的に「2/3以上」とはどういうことかということまでは記されておらす「議院運営規則」で定められていた。そこには「総議員の2/3以上の出席を得た上で、出席議員の2/3以上の賛成を必要とする」となっていた。それでは成立が不可能なので議院運営規則を修正したということではないだろうか。


すなわち、全権委任法がワイマール憲法を形骸化させたのではない。全権委任法自体は憲法修正に準じるものであって、つまり形骸化されたのではなくて憲法の手続きによって改正されたのだといえるのではないか?


問題はその前段階の議員運営規則の修正にあり、議員運営規則の憲法改正(修正)手続きの具体的な取り決めがまさに「憲法解釈」によるものであり、それを法案を成立させるために修正した。すなわち「憲法解釈を変更した」ということになるだろう。全権委任法の成立させるために、共産党議員等の弾圧等がなされたことは知られているけれど、議員運営規則の修正が無ければそんなことをしても成立は不可能だったのだ。


そういう見方をすれば「ナチス政権が全権委任法によりワイマール憲法を形骸化させた」ではなくて、「議員運営規則の修正という憲法解釈の変更をしたことにより、ワイマール憲法の実質的な改正がなされてしまった」ということの方が、例え話としてはふさわしいように思われる。


ただし「ナチス政権が全権委任法によりワイマール憲法を形骸化させた歴史を引き合いに」というのは共同通信の記者が書いたものであって、村上誠一郎氏がそのような趣旨の発言をしているのかは要確認。



ところで、「ワイマール憲法を形骸化させた」といえば去年の麻生発言を思い浮かべるのは自然の成り行きだが、麻生発言は「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ」であって「全権委任法」という語句はどこにもない。全権委任法のことを言っているのだというのは、この発言を受け止めた側の解釈にすぎない。実際、「ワイマール憲法は改正されてないので麻生の歴史認識は間違ってる」というような批判が多数見られた。


しかし、そもそも麻生氏が全権委任法に関することを念頭に置いてこの発言をしたと解釈するのが正しいのかを俺は疑問に思っている。そう解釈すると発言全体の趣旨からして不自然だと思うからだ。それは麻生氏の歴史認識に誤りがあるからだとすることも可能だろうが(そうすれば麻生氏が極右であるだけでなくバカだということで批判したい人には好都合だろうが)、そうではなくて麻生氏が念頭に置いているのはそこではないとした方がスッキリする。


俺は麻生氏が念頭に置いていたのはこれだと思う。

制定当時は旧ドイツ帝国憲法にくらべ、はるかに民主的な憲法とされた。ヴァイマル憲法では首相の指名は大統領の指名のみが条件であったが、議会は首相を不信任することもできた[3]。当時の憲法解釈では首相指名には議会優位説がとなえられており、エーベルト大統領は議会の支持が得られる人物を首相に任命していた。しかし、完全比例代表制の弊害である少数政党乱立を防止するための阻止条項たる最低得票率制限[4]がなかったため、ヴァイマル共和国内閣は少数の複数政党による連立内閣となることが多かった。政党間の協議も混乱に拍車をかけ、選挙制度改革はたびたび議論されたものの、成立しなかった[1]。

この情勢を解決するため、首相指名には大統領の権限が優先されるという大統領優位説が次第に浸透するようになった[5]。

ヴァイマル憲法 - Wikipedia


ワイマール憲法は当初「議会優位説」であった。それが「大統領優位説」に憲法解釈が変更された。そのことがヒトラー及びナチスに有利に働いた。


つまりワイマール憲法の解釈が変更されたことにより、ナチスに有利な憲法になった。これが「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ」ということではないのだろうか?


(全権委任法の成立の重大性に誰も気付かなかったなんてバカな話があるわけがない。「議会優位説」が「大統領優位説」に変わったことが及ぼす悪影響に気付かなかったというのなら理解できる。この解釈の変更の背景には政治が不安定だったことに対する民衆の不満があった。大戦後ドイツの政情不安を解決することにばかり目がいって、そこに潜む危険性に気付かなかった。つまりこれが喧騒の中で決めてはいけないということでしょう)