日本人の寄付がアメリカ人と比べて少ないのはなぜか?(6)

日本人の寄付が少ないのは税制のせいだと良く言われる。しかし、これは答になっているのだろうか?


日本人が寄付をしたいと本気で考えているのなら税制は既に変わっているはずだ。日本は民主主義国家なのだから。というか独裁者が支配する国であっても寄付の文化が根付いている国であれば、それに反する制度を実行するには、余程の抵抗を覚悟しなければならないのではないか。下手すれば倒されるのは独裁者の方だろう。


日本人」ではなくて「日本の金持ちの寄付が少ないのは税制が」的な主張もよく見かける。むしろ、こっちの方が多いかもしれない。自分が寄付しないのはいいけれど金持ちは寄付すべきだという思想が背景にあるのだろう。世界的に見れば寄付は金持ちだけがするものではなく、日本人は全体的に寄付が少ないのだが、どうしてこのような思想が発生したのか考えてみるのもそれはそれで面白そうだ。



ところで、日本で普通選挙法が成立したのは1925(大正14)年だ。これにより、それまで納税額による制限選挙だったものが、満25歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられることになった。逆に言えば、それ以前は金持ちが政治の決定に大きな力を持っていたことになる。彼ら金持ちが望めば、寄付行為への優遇税制を定めるのもそれほど困難ではなかったようにも思える。ということは彼らがそれを「望んでいなかった」ということもできるかもしれない(外国での優遇税制がいつ頃からあったのかということを調べる必要があるけれど)。


日本でも戦前の金持ちは寄付をしていたみたいな話もあるから、自信があるわけじゃないけれど、「金持ちが寄付を望んでいなかった」とすればそれはなぜかという問題設定をして考えてみたとき、それにはこんな理由があるのではないかと思い当たるものが俺にはある。それが当たっているかどうかはわからないけれど、とにかく書いてみる。


それは大石慎三郎氏の『江戸時代』(中公新書)を読んでいるときに思いついた。

江戸時代 (中公新書 (476))

江戸時代 (中公新書 (476))

寄生地主」の起源は江戸時代中期にあると見做されている。

八代将軍吉宗の時代に投下資本の一割五分にあたる金利相当の小作料を公認し、また寛永二〇年(一六四三)にだされた田畑永代売買禁止令を事実上撤廃したことから、以降寄生地主は急速な成長をはじめ、江戸時代後期である化政期にはかなり一般的な存在になっている。

これはよく聞く話。だが問題はそれ以後。

その後も土地集積という面では寄生地主の成長はつづくが、にもかかわらずその経営実態は必ずしも喜ばしいものではなかった。というのは幕末段階は寄生地主の存在にとって必ずしも好適な時期ではなかったからである。

こういう話は前者に比べて余り知られていない。一般的に知られている話では寄生地主は豊かになる一方、小作人は貧困にあえいだという話だろう。


で、これはどういうことかというと、一つは領主への支出の増大。幕末になると一部の雄藩を除けばどこも財政破綻状態であり、領主は寄生地主に借金を依頼することになる。借金といっても返済される見込みは薄い。


もう一つは地域社会への支出の増大。幕末になると小作争議が多発した。小作人がいなければ寄生地主は成り立たない。彼らをなだめるために「貧民救済のための救恤金および公共事業のための支出金」が増加した。
(これには領主の治安維持機能の低下という側面も大きい。すなわち、負担だけ増えて公共サービスは低下するという、これからの日本に起こるであろうことと似たようなことが起きていたのである)


そんなわけで、幕末の寄生地主の中には所有する土地は増えても逆に収益は減るという事態も生じていたのであった。それが明治維新によって領主はいなくなって所定の税金だけ払っていれば良いという状態になり、一方治安維持機能は強化されて「寄付」からも解放されることになったのだから、彼らにとってはいいことずくめであろう。


そういうことが、日本の寄付文化に影響を与えているんじゃないかと思ったりするんだけれど、もちろん自信があるわけじゃない。