日本人の寄付がアメリカ人と比べて少ないのはなぜか?(5)

日本人の寄付が少ないのは税制が原因だとよく言われる。


この際、頭に入れておかなければならないのは、税の優遇措置が無かった場合、寄付が増えても税収に変化はないけれど、優遇措置があった場合には、税金が免除されるので、(税収と寄付の合計は増えるかもしれないが)その分税収が減るということだ。すなわち、国や地方自治体などに使途を任せるのか、それとも自らの選択で使途を決めるのかという側面があるということ。


つい、最近はてなブックマークで人気を集めた記事
統計よりも「1人のストーリー」が有効な理由 | WIRED VISION

Slovic氏は、さまざまな慈善活動について、どのくらいの金額を寄付しようと思うか人々に尋ねた。その結果、たとえばマリ共和国のRokiaという名の1人の飢えた子どもの写真を見せられた人々は、驚くほどの気前の良さを示した。これに対し、アフリカ全土の飢餓に関する統計データのリストを見せられた2つ目のグループは、申し出た寄付金の平均額が50%低かった。

一見して、これは非合理的だ。問題の全体像に関する情報を得られたときこそ、われわれは金額を多く支払うはずだからだ。ロキアの悲劇的な物語は、氷山の一角にすぎない。


もしも、国家による福祉活動を廃止して、寄付のみでそれを行うとしたら、本当に救われるべき人々にそれが届かない可能性が大いにあるだろう。最適な配分を実現するのには個人の感情よりも、大局的な見方のできる機関に委ねた方が良い。しかし、これにはリバタリアンなどから反論があるだろう。国家は非効率で高コストであり民間に任せた方が良いと。それもまた一理ある。


ただし、これは、どうすれば最適な配分が達成できるのかという問題だ。なぜ税金に取られるよりも寄付を選ぶのかという理由はとしては、そういうことよりも遥かに強い動機は、他人任せではなくて、「自らの手で慈善活動を行いたい」ということではないかと俺は思う。


なぜ、「自らの手で慈善活動を行いたい」のかといえば、キリスト教徒であれば、それは「天国に行きたいから」ということなのではなかろうか?ついでに言えば、ヨーロッパよりもアメリカの方が寄付に熱心なのは、ピューリタン精神が関係しているのではないだろうか?もちろん寄付に熱心なのはキリスト教信者だけではなく、無神論者でも熱心な人はいるとは思うけれど、そうであっても土壌としてそういうものが根付いているのではないだろうか?なんてことを思う。


ただし、善行によって天国に行くという考えは何もキリスト教世界だけに限ったことではない。仏教にだってそういう面があるから、日本だって影響を受けている。光明皇后の慈善事業の動機にはそういうものもあったのではなかろうか。これらは利他的ではあるけれども、見方によっては利己的だと言えなくもない(なお空海が今も生きているというのは、極楽に行ける資格があるのに、あえてこの世で人々を救済することを選んだって意味だったと思う)。


寄付や慈善の文化は、かつては日本にもあったはずだ。それが、なぜ現在はなくなってしまったのだろうか?それが大いなる疑問。ただし、個人的には思い当たることが多少ある。


(つづく)



(なお、慈善活動の動機としては他にも富める者は弱者を救済しなければならないという共同体のルールがある場合もあるだろう。もしそれをケチったら打ち壊しなどの被害に遭う恐れがある。また、東アジア文明圏の為政者の場合、政権が交代した後に歴史家によって悪い評価がなされるのを避けたいという動機があるかもしれない)