無いことにされている「政権批判」

「政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」 作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を発表


現政権への批判を「自粛」する空気が社会やマスメディア、国会議員に広がっている』と彼らは言う。


しかし、マスメディアはともかく、実は現政権への批判は社会に蔓延していたのである


いや、正確に言えば俺にはそういう認識はないんだけれど、一部の人々がそういう批判が蔓延していると声高に訴えていたのである。


それは「自己責任だから助ける必要はない」という政権批判のことだ。政府は人質救出のために対策室を設置して活動していたのだから、この主張は政権批判に他ならないではないか。


「自己責任だから助ける必要はない」という主張は確かにあっただろうが、それが日本人の間で広まっていることをことさらに主張した「一部の人々」というのが、現政権への批判を自粛する空気が広がっていると主張している人々と、かなり重なっているだろうことは容易に想像できるところである。


それが意味するところは「自己責任だから助ける必要はない」という主張は政権批判には含まれないと彼らが認識しているということに他ならないだろう。なぜ含めないのかといえば「政府は人質を助ける気がなかった」という彼らの勝手な思い込みによるものであろう。彼らにとって都合の良い政権批判だけが政権批判なのだ。


※ ところで俺は近現代史に詳しくないんだけれど、戦前の日本において政権批判がなされなかったのかといえばそんなことはなくて、それどころか政権を激しく批判していたという話を聞いたことがある。すなわち政権に対して「弱腰だ」とか「軟弱」だとか攻撃していたのではなかっただろうか?