そもそも「政権批判をするな」なんて主張は実在するのか

いやネット世界は広大だから言論の自由を抑圧しようとする「政権批判をするな」という主張がある可能性はあるし、きっとあるんだろうけどさ、それが「社会にひろがっている」というほどあるかといえば大いに疑問ですよね。


しかし、たとえば俺も見てたけれどテレビで八代英輝弁護士のこんな発言があった。
「ただ一方で国会で野党の皆さんが、人道支援安倍総理が表明した時にイスラム国に間違ったメッセージをあたえたことになったんじゃないかみたいな質問をしてくるのはわたしは違うと思うんですよね。人道支援は絶対続けていかなければいけないことだと思うし、あのタイミングで安倍さんが行かれたのも正しいことだと思うし表明も正しいと思うんです。こんなことで日本の国内が、わたしたち一般が不安に思うぐらいならまだいいんですけど国会でそれが正々堂々と質問されるような国にはなっていけないと思うんですよね」
http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/livetbs/1423022638/4


これが「政権批判をするな」という主張だということは可能なのかもしれないけどさ、これは単に「私はこう思います」という主張であって、これが「言論を抑圧するものだ!けしからん!!」なんてことになったら、そっちの方がよっぽど言論を抑圧してるじゃないですか。



そもそも「政権批判をするな」と抗議されたというけれど、それが「政権に批判すべきことがあっても批判するな」という意味だとは限らないではないか


このあたり普通に生活していればわかるはずのことだけど、たとえば「政権には批判すべきことがないのに批判するな」という意味で使うこともある。もちろんこの場合の「批判すべきことがない」というのは、批判者がそう思っているだけであって批判している方はそう思っているとは限らないのであるが(さらに細かくいえば「自分が絶対に正しいと思って相手に押し付けているケース」と「個人的な考えだと自覚しているけれどその説明が欠けている言葉足らず」のケースがある)。


こんな「政権批判をするな」の主張は受け手にとっては説明不足の主張であって決して好ましいものではないとは言えるだろうけれど「政権に批判すべきことがあっても批判するな」という意味ではないのである。そしてこういう言い方は好ましくはないかもしれないけれど日常茶飯事に行われているのであって、高度な理解力を持っていなくても前後の文脈でおおよそのニュアンスがわかるものである。そしてそれに同意できなければ「あなたには批判すべきことが無いようにみえるのかもしれないが私はそうは思わない」といって同意しなければいいだけの話である。



それからこれもよくあるケースだが、「○○するな」なんて一言もいってないのに、内容について批判されたり苦情があったりしたら、それをもって「○○するな」と言われたという捻じ曲がった理解をする人というのは少なからずいるのである。事実このブログでも以前そういうやり取りがあったのである。