南北朝正閏問題のわかりにくさ

枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」 - MSN産経ニュース


この産経のニュースをきっかけにして、南北朝正閏問題についてもネットの一部で話題になっている。


しかし、この南北朝正閏問題はわかりにくいことこの上ない。南朝正統論、北朝正統論、両統対立論、両統並立論、いずれが正しいのかということもさることながら、一番理解に苦しむのはなぜこの問題が深刻な問題となっているのかについて。


このことを考える際、どの説が実際には正しいのかということはとりあえず考える必要はない。というか、それを考慮に入れると話がむしろわかりにくくなる。言論の自由には間違ったことを言う権利も含まれているはずだから。正しいことを言ったのに「弾圧」されたなどという論法は、じゃあ間違ってたら「弾圧」してもいいのかという話になってしまう。


上に「弾圧」と書いたのは「批判」と区別するためで、間違っている(と本人が考える)言論を批判するのは、これまた言論の自由であって、「間違った批判をするのは言論弾圧だ」としてしまっては、これまた言論弾圧になってしまうであろう。


したがって、「南朝が正統だということを認めないのはけしからん」みたいなことを言ったからといって、それが学問的に正しくないとしても、それだけで言論を弾圧したみたいに批判するのは、それはそれでおかしな話になってしまうだろう。


しかしながら、結果的にはこの騒動によって、学問的自由が損なわれてしまったわけで、一体何が問題だったのかといえば、学問に「政治」が介入したということが問題だったということでしょう。


といっても、俺の理解するところでは、たとえば喜田貞吉についていえば、政治家が休職を命じたわけではなく、大学側が処分を下したわけで、大学がヘタレだったということになるのではなかろうか。
喜田貞吉 - Wikipedia


でも、大学には世論その他の相当な圧力がかかっていただろうということも、想像に難くないわけで、身の危険を感じればそりゃヘタレもするさ人間だもの、みたいな同情の余地もないことはない。


とはいえ、ここはやはり、圧力があったとしても、たとえ殺されようが「学問の自由を守る」という「原理原則」を貫かなければいけなかったのじゃないかとも考えるわけで。


ただ、それはそれでちょっと俺には考えるところがあるわけで、思考はなかなか落ち着かない。


(訂正 9:40)喜田は大学を休職になったんじゃなくて、文部省の教科書編纂官を休職になったのだった。大誤解をしてしまった。


誤解の元はこれが学問の自由を損なったというような趣旨の話を見たことがあったから。政府が南朝正統の立場を採用して、それに反する立場の者が休職になるということが学問の自由を損なうことになるのだろうか?なるとしたら田母神論文はどう評価することになるのだろうか?