南北朝正閏問題のわかりにくさ(その2)

そして、1911年(明治44年)1月19日付の読売新聞社説に「もし両朝の対立をしも許さば、国家の既に分裂したること、灼然火を賭るよりも明かに、天下の失態之より大なる莫かるべし。何ぞ文部省側の主張の如く一時の変態として之を看過するを得んや」「日本帝国に於て真に人格の判定を為すの標準は知識徳行の優劣より先づ国民的情操、即ち大義名分の明否如何に在り。今日の多く個人主義の日に発達し、ニヒリストさへ輩出する時代に於ては特に緊要重大にして欠くべからず」という論が出され、これを機に南北朝のどちらの皇統が正統であるかを巡り帝国議会での政治論争にまで発展した(南北朝正閏問題)。

南北朝正閏論 - Wikipedia


読売新聞社説」の全文を読みたいと思って検索してみたのだが、この問題における重要な文章であるにもかかわらず、見つからないんだな、これが。一部引用ならいくつかあるけれど、ウィキペディアと同じ箇所の引用だから、どこかの書籍かなんかの孫引きっぽい感じがする。


唯一見つかったのは、長文で引用している論文(南北朝正閏論の論文ではない)。
森鴎外論考 篠原義彦

「然るに茲に吾輩の怪訝に堪へざる一大事件は、来四月より新に尋常小学生に課すべき日本歴史の教科書に、文部省が断然先例を破つて南北朝皇位を対等視し、其結果楠公父子、新田義貞北畠親房名和長年、菊池武時等諸忠臣を以て、逆賊尊氏、直義輩と全然伍を同うせしめたるに在り。天に二日なきが若く、皇位唯一神聖にして不可分也。設し両朝の対立をしも許さば、国家の既に分裂したること、灼然火を睹るよりも明かに、天下の失態之より大なるは莫かる可し。何ぞ文部側主張の如く、『一時の変態』として之を看過するを得んや。然らば則ち其一の正にして他の閏たること固より弁を俟たじ。」

これも全文じゃないので、不明なところがあるんだけれど、俺が思うに、ここで南朝が正だというのは学問的に正しいとして主張しているのではなくて、道徳的な見地から主張しているようにみえる。しかもそれを隠蔽することなくあからさまに主張しているように思われ。今だったらたとえ本音でそう考えていても、表面上は学問的な正さでもって言い繕うところではなかろうか?


いつか全文を見てみたいと思うけれど、調べたいことがいっぱいあるのでいつになるやら。



あと、ここで気になるのは「文部省が断然先例を破つて」の部分。これはウィキペディア

1910年(同43年)の教師用教科書改訂にあたって問題化し始め

に該当するのだと思われるけれど、じゃあ、それ以前はどうだったのかといえば、

れに基づいて1903年明治36年)及び1909年(同42年)の小学校で使用されている国定教科書改訂においては南北両朝は並立していたものとして書かれていた。

とある。これも実際に確認してみたいのだが、やはりネットでは資料が見つからない。


ただし、「小学日本歴史」(明治37年
小学日本歴史 四 | ResearchGate
に目次の画像を見ると「南北両朝の分立」とある。


なぜ読売社説が「文部省が断然先例を破つて」と書いたのかが謎。