昨日、宇宙人と遭遇した

嘘です。だけど仮定の話として。


先日、俺の部屋に宇宙人がやってきた。最初は一体何が起きたのかわからなかった。だが彼は自分が宇宙人であることを日本語で説明してくれた。アンドロメダ星雲のとある惑星からやってきたのだという。そこの科学は地球人より遥かに進んでいるのだという。もちろん俺は疑った。夢を見ているのではないか。しかし、そうではないことは確認できた。これはドッキリカメラじゃないかとも疑った。しかし、明らかに地球の科学ではありえない。彼は俺の部屋に窓も開けずに侵入してきたのだ。そんなことが地球人にできるわけがない。彼との会話はそれほど長い時間ではなかった。彼の星の人達は、地球人と友好的におつきあいしたいらしい。しかし、いきなり集団で登場したら警戒されるだろうから、試験的に一人選んで会って見たのだという。なぜ俺が選ばれたのかわからないが、そういうことらしい。そして、いつになるかは未定だが、今度は正式に地球人と友好条約を結ぶための使節を派遣すると言い残して、来たときと同様に、突然目の前から消えた。


俺はこの出来事を、世界に知らせるのが自分の使命だと思った。だが、どこに連絡すればいいのだろう?警察だろうか?よくわからないけれど、まずはそうだろうと思った。しかし、まともに相手してくれるだろうか?変な人だとは思われないだろうか?証拠があればいいのだが、宇宙人は、あくまで非公式の接触だということで、証拠となるものを何一つ残していかなかった。UFOが目撃されたという噂もないようだ。変人だと思われるのは嫌だ。だからといって黙っているわけにもいかない。俺は警察に電話した。一応話は聞いてくれたが、明らかに信じていないということは察せられた。質問があればこちらから連絡すると言われたが、どうせ連絡などしてこないだろう。予想していたこととはいえ、がっかりした。


さて、次にどうすべきか?役所に連絡しても無駄に決まっている。マスコミに知らせるべきか。これも無駄なような気がする。でも一応そうするべきだろう。俺はマスコミ各社に連絡した。だが、予想通りの結果だった。なんといっても証拠が無いのが最大のネックだ。怪しげな心霊写真だって取り上げるところもあるけれど、そんなものさえ一切ないのだから、ネタとして価値がないのだ。困った。あまり乗り気にはなれないが、こうなったらオカルト雑誌にでも連絡するしかない。怪しげな情報にだって飛びつく彼らなら話を聞いてくれるだろう。と思ったのだが甘かった。彼らでさえ相手にしてくれないのだ。なぜだろうと考えたが、要するに、話として平凡だということらしい。平凡も何もこれが事実なのだが、それじゃあ読者は食いつかないのだ。


最後にUFO研究家と言われる人達に話をしてみようと思った。何人かに連絡したが、やはり相手にしてもらえなかった。しかし、やっと話に食いついてくる人に出会った。彼は俺の体験談を自身の著書で紹介するという。やっと努力が報われた。安堵したが、同時に不安要素もあった。その不安は的中した。彼の著書には、ノストラダムスがどうのとか、惑星ニビルがどうのとかというキーワードが出てくるのだ。あの宇宙人はそんなこと一言もいってなかったのだが…


UFO研究家の本はベストセラーというには程遠いが、好事家の間ではそれなりに話題になった。俺のところにも読者から手紙がくるようになった。曰く「私も宇宙人と遭遇しました」「政府は宇宙人の情報を隠蔽しています」。あの宇宙人は、自分以前にこの地球にやってきた知的生命体は存在しないと断言していたのだが。「ノストラダムスはいかさまだ」とかいった批判も多数寄せられた。俺はそんなこと言っていないんだけれど、本に書いてあるんだから仕方がない。でも争点はノストラダムスに集中してしまい、それを理由にトンデモということで世間では決着がついてしまった。俺は散々に馬鹿にされた。俺は結局くじけてしまった。もうどうでもいい。俺は以後この話は封印して、そして数十年後に死んだ。


俺が死んで数年後、地球に大規模なUFO船団がやってきた。地球人と宇宙人の間で友好条約が締結された。宇宙人代表と国連事務総長との会談の中で、宇宙人代表が俺の名前を口に出した。国連事務総長は俺の名前を知らなかった。「その人は一体何者ですか?」「彼こそが始めて我々と接触した最初の地球人です」。俺は一気に有名人になった。そういえば昔、宇宙人に遭遇したとか言っていた奴がいたなあと思い出す人も少数ではあるがいた。



で、何が言いたいのかというと、「現代の科学では認められていないことでも正しい可能性がある」ということではなくて、「正しくても証拠がなければどうすることもできない」ということ。なぜなら、証拠がなければ、「本当」の宇宙人との遭遇と、「嘘」の宇宙人との遭遇を見分けることが不可能だから。俺からすれば「本当」のことであるのは明らかだけれど、経験を共有していない他人はそうではない。俺の言うことを信じない他人はけしからんと憤ったところで、もしも他人が俺の言うことを信じるのであれば、その他人は俺以前にあった嘘の宇宙人との遭遇体験も信じてしまう人なのだから、どっちにしろ俺の言うことだけ(この場合はこれが「真実」であるにも関わらず)を信じるわけではないのだ。