「邪馬台国=ジャワ島」説(その2)

邪馬台国がジャワ島にあったというのは信じがたい。これはトンデモだといってもいいだろう。


だけど「邪馬台」と「耶婆提」には、サンスクリット語由来という共通点があるという説はトンデモで片付けるわけにはいかないのではないか。ところが、これについて言及しているもののほとんどは、そこに至る前に否定して終ってしまっている。それでいいのか?


さて、サンスクリット語のYavadvipaについて。

金銀島/【第1章】金銀島伝説の黎明
が詳しい。

七個の王国に分割されたヤヴァ島[ヤヴァドヴィーパ Yavadv〓pa [Yavadvipa]]および、金銀の島々[スヴァルナ・ルーピャカ・ドヴィーパ Suvarṇar〓pyakadv〓pa [Suvarnarupyakadvipa]、あるいはスヴァルナドヴィーパ Suvarṇadv〓pa [Suvarnadvipa] とルーピャカドヴィーパ R〓pyakadv〓pa [Rupyakadvipa]]におもむけ。

――『ラーマーヤナ』第4巻第30章第30節、阿部知二〔訳〕。

 この島々はインドの東方に位置するとされている。「ドヴィーパ」(dv〓pa [dvipa])とはサンスクリット語で「島」を意味する語である。「ヤヴァ」(yava)は「穀物」、特に「大麦」という意味なので、ヤヴァドヴィーパは「穀物(大麦)の島」という意味になる。お気づきになられたかと思うが、プトレマイオスの触れているイアバディウ島とは、このヤヴァドヴィーパのことである。また、「スヴァルナ」(suvarṇa [suvarna])は「金の」、「ルーピャカ」(r〓pyaka [rupyaka])は「銀の」という意味なので、スヴァルナドヴィーパは「金島」、ルーピャカドヴィーパは「銀島」という意味になる。


特に重要なのは「この島々はインドの東方に位置するとされている」ということ。


「日本」という国号について、

旧唐書』・『新唐書』が記すように、「日本」国号は、日本列島を東方に見る国、つまり中国大陸からの視点に立った呼称である[15]。平安時代初期に成立した『弘仁私記』序にて、日本国が中国に対して「日の本」、つまり東方に所在することが日本の由来であると説明され、平安時代に数度に渡って行なわれた日本書紀の講読の様子を記す『日本書紀私記』諸本においても中国の視点により名付けられたとする説が採られている[16]。

「日本」の国号が成立する以前、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称されていたが、「やまと」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになった。やがて、「やまと」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだ。


中国から見て東にあるからという説がよく唱えられているけれど、俺は常々そうとは限らないと思っている。


それはともかく、ヤマト王権が東方ということを強く意識していただろうことは「神武東征」等の神話その他から窺えるところ。


「日本」という漢字表記だけではなく、「ヤマト」そのものが「東方」の意味を含んでいる可能性もあるのではないかという気がするのだが、そういうことはあまり論じられていないように思う。



ウィキペディアによる「やまと」の語源

山のふもと(→倭参照)
山に囲まれた地域であるからと言う説
この地域を拠点としたヤマト王権が元々「やまと」と言う地域に発祥したためとする説
「やまと」は元は「山門」であり山に神が宿ると見なす自然信仰の拠点であった地名が国名に転じたとする説
三輪山から山東(やまとう)を中心に発展したためとする説
邪馬台国の「やまたい」が「やまと」に変化したとする説

大和 - Wikipedia