似てはいるけれど異なった話がごっちゃになることについて

「若者の消費離れ」関連で。といっても「若者の消費離れ」についてではなくて、トホホな言論空間について。


昨日も書いたけれど、「若者がモノを買わない」「若者が消費しない」では意味が異なる。前者はあくまで「モノ」を買わないのだと理解できるので、モノ以外の消費を増やしているのかもしれないという推測ができる。一方、後者だとモノ以外の消費も減らしているという話になる。それなのに、「モノを買わない」と「消費しない」が混同されている。モノを消費しないと同時にモノ以外も消費しないという場合は、混用していても矛盾しないが、その場合、なぜ「モノを買わない」ことだけを別個に記述するのか意味不明。


だが、話が混乱しているのはそれだけじゃない。「所得が減ったので消費できないのだ」みたいな話がここに乱入してくる。


「収入に見合った消費をしない」という話と、「所得が減ったので消費しない」とは話が異なる。月の手取りが20万から16万に下がったとき、消費を15万から13万に減ったとしたら、消費額は減るけれど、所得に占める消費の割合は増えるのだ。


さらに「若者向けの商品が売れない」という話が乱入してくる場合もある。日本は少子化が進行しているので、一人当たり消費が増えたとしても、売り上げが減る場合もある。


異なった話が同じ土俵で論議されていても、話は全くかみ合わない。


そんなに難しい話なのかといえば、常識があれば経済学など学ばなくても、理解できる話。それなのに、なんでごっちゃになってしまうのだろう?ごっちゃになってしまう議論のケースにはどういう特徴があるのだろう?


これもまた、よく見かける光景であり、その原因に大いに興味がある。