同性結婚と正義を考える(サンデル教授の講義から)その3

国家に結婚したことを届け出て受理されると、税制面で優遇されるとか、公営住宅に入居しやすくなるとか、場合によっては補助金が支給されるとか、様々な経済的その他の利益に結び付く利点があるだろう。


だけど、結婚を届けて受理されることの意味はそれだけではなく、結婚を神聖なものにする通過儀礼としての意味も持っている。ただし、それは自明のことではないはずだ。社会がそれを通過儀礼だと見做さない社会を想像することは可能だろう。その場合は、国家に結婚を受理されて様々なメリットを受けるというのは、民間企業に対して夫婦であることを申請すれば割引サービスが受けられるというようなものと大きな違いはないのではないかとさえ思う(極論だけど)。


なぜ国家が結婚を認めることが「聖なる結婚」にとって重要なものとなったのかは俺にはよくわからない。先に書いたようにマルティン・ルターが結婚を「教会に属する儀式」から「市民的な儀式」に変革したことが影響しているのかもしれない。もしそうだとするなら同じキリスト教国でも、プロテスタントの分布によって、結婚に国家が関与することについての考え方に違いがあるかもしれないが調べてもよくわからない。

※⇒キリスト教と同性愛 - Wikipedia
(これは教団が同性愛を認めるかという話であって、国家が同性婚を認めることを教団あるいは信者が容認するかという話はこれとはリンクしているだろうけれども微妙に異なってくると思う)


キリスト教国以外のことはなおさら良くわからない。イスラム国家の場合は政教未分離の国家が大半だから国家か宗教かという区別は無いだろう。中国は共産主義国家だから結婚も国家が関与する割合が高いだろうと思われる(ただし事実婚が多いという情報がある)。
タブー、マナー、エチケット:結婚べからず集
ただし、中国の場合、良く知られているように同性ならぬ同姓結婚のタブーがあって、これは国家が法で定めたものではないけれど「聖なる結婚」の条件となっているのではないかと思うので、公式的にはともかく社会的には国家が認めただけでは「聖なる結婚」にはならないケースもあるのではなかろうか。なお韓国では1997年まで同姓婚は違法であったそうだ。


そして、わからないといえば、なぜ日本において、役所に婚姻届を提出して受理されることが、聖なる結婚の通過儀礼と見做されるようになったかということがわからない。考えれば考えるほど謎だけれど、おそらく日本人の宗教観や家制度、そして宗教的側面を捨象した西洋の模倣ということなどが影響しているのだろうと思われ。それと、いきなりそうなったというわけではないだろうとも思う。芸能人の結婚報道で「入籍」という言葉が頻繁に使用されるようになったのは、自信があるわけではないけれど、それほど昔のことではないと思うから。


同性婚の是非について考える場合、そもそも結婚とは何かを考えることが必要なのはもちろんのことだけれど、国家と結婚との関係も考えなければならないだろう。そして、その場合の結婚とは、経済的なメリットなどの功利的な部分と神聖な部分とを分けて考えなければならないだろう。さらにその神聖さが国家が結婚を認めることによって付与されるというのは自明のことではないということも考慮しなければならないだろう。

全ての民事婚には3者が関わっている。結婚を望む2人とそれを承認する国家である。民事婚は深く個人的や約束である一方で、相互関係、交友、親密さ、家族の理念に対する法的な賞讃でもある。これが裁判所の見解だ。

JUSTICE 第12回(終)「同性結婚と正義を考える」「サンデル教授の正義」ハーバード大学:サンデル教授:白熱教室 | VISUALECTURE


サンデル教授はこれについて、

リベラルな中立性をはるかに超えている。彼らは公式な承認という形で、結婚を名誉あるものであると祝福し肯定している。裁判所は結婚のテロスについての議論を避けることはできないと、気付いたのだ。

と評価している。俺もそうだと思う。ただ、裁判所がなぜそのような判断を下したのかという背景について、結婚の目的が「生殖であるという概念」と「パートナーのお互いに対する高級な約束」だとする対立する二つの「正義」のどちらを選んだかという話になっていて、それは判決文を読めばそうなっているからなんだけれど、対立し得る「正義」はその二つだけとは限らないわけで、「正義」が二つに絞られている時点で既に中立ではないと言うこともできるのではなかろうか。


そして何より「法的な賞讃」ということについて、それが自明であるかのように見えるところが気になる。これが日本の裁判だったら、そんなことは記されないと思う。日本においては国家が結婚を認めることが通過儀礼になっているとしても、それは国家が意図したというよりも、社会がそう見做したということになっているんだろう。なぜ米国では「賞讃」なのかというと、先に書いたように教会に属していた儀礼の機能を国家が担うようになったということがあるのかもしれない(自信ないけれど)。


(追記)
予想はオバマ圧勝だって、困ったもんだがアメリカから逃げ出すわけにもいかないし、あーあ _| ̄|○  - Comments by Dr Marks

アメリカの結婚証明書の写真。聖職者の署名がある(聖職者じゃなくてもいいんだろうけれど)。この記事はコメント欄を含めて色々と参考になりますね。