疑うべきは「家光が本当に両親に疎んじられたのか」ということではなかろうか

福田千鶴著『江の生涯 徳川将軍家御台所の役割』はまだ読んでない。新書で840円だから高いというわけじゃないけれど、それでも貧乏人としては買う価値があるだろうかと悩んでしまう。


『江の生涯 徳川将軍家御台所の役割』の感想 その一(家光の誕生時期) かとりぶたを側に置き/ウェブリブログ
によると、家光が実子ではない根拠は「生み月が足りない」ということらしい。それについての反論はすでに上の記事でなされている。


素朴な疑問は、家光が実子じゃないのなら、忠長も実子であると言い切れないのではないかってこと。忠長には家光のような疑問点がないから実子であるとみなすのは、ちっとも論理的ではない。夫婦が同居している期間には愛人の子が絶対できないなんてことはない。実子でない者が実子とされているのなら、他もそうである可能性があると考えるのが論理的な思考法でしょう。違いますかね?


ところで、この手のことは、「乏しい史料しかないんだから疑えばきりがない」と思う。ただし、それにもかかわらず疑ってみる価値のあることは確かにあるとも思う。たとえば俺は豊臣秀頼は秀吉の実子かということを疑っている。それは単に歴史上の人物の親子関係の真相はどうかということ以上に、それによって歴史の見方が大きく変わってくるだろうと思うからだ。


家光についても、実子かどうかが問題になるのは、秀忠夫妻が家光を疎んじて忠長を可愛がったという話が残っているからこそ問題になるのである。それがなかったら実子か否かなんて歴史的には割とどうでもいい話であろう。


その根本的な部分だけれど、俺はこの「家光は両親に疎んじられた」という話自体を疑っている。本当に疑うべきはここだと思っている。


その理由についても書きたいのだが、書きたいことが山ほどあって中々書けないでいるのであった。それはまたいつか。